BUT BAT SITUATION
「――仕上げにういろう……」
ぽちゃん、と、一切れ落とす。一瞬だけ鮮やかな紫に染まった液体は、まばたきひとつ分の間に、再び元の薄茶色に戻った。
名古屋ウィローは満足げな笑みを浮かべた。
「完成だぎゃあ」
ウィローは総帥室の前にいた。
「おやっさ……総帥、ござらっせるきゃあも? 入るでよ」
以前、総帥であるマジックを『おやっさん』と呼んで、眼魔砲を食らいかけた覚えがある。
……ちーとでもにすかったら死んどったとこだがや。
思わず述懐してしまうウィローだった。
だが、彼の出身地である名古屋では『そこで一番偉い人』をおやっさんと呼ぶのだから仕方あるまい。町内会長然り、美術館の館長然りである。……町内会長とマジックを同列に扱う辺り、まだまだ怖いもの知らずの彼であった。
それでも、とりあえずあのような目に遭うのはごめんこうむりたい。総帥、と呼んで危険が回避できるのなら、それに越したことはなかった。
そう、あの時の総帥室の修復代は、ウィロー持ちで請求書が回ってきたのだ。……繰り返すまじ! 給与三か月分の棒引き!! 給料三か月分といえば婚約指輪。……どこか論点がずれてきていた。
ウィローは敬礼して入室した。そのままマジックの座すデスクの近くに歩み寄る。
「新しい薬ができたがや。見たってちょ」
分析データをウィローはマジックに手渡した。
「……Transformation-Bat ?」
スクリプト文字で大きく書かれたタイトルをマジックは読み上げた。
「ほうだぎゃあ。人間をコウモリに変えてまう薬だて。で、これがその実物――」
蓋を取って差し出そうとして、
……ずるっ
毛足の長い絨毯でウィローはつんのめった。しょっちゅうすっ転ぶところから察するに、頭脳労働ばかりのせいで足腰が弱っているのかもしれない。単におまぬけだという説は彼の名誉の為に削除しておきたい。五十歩百歩だという気もするが、それは言ってはいけないことである。
ぱしゃっ。薬壺の中身が溢れる。
「あ゛」
ウィローは引きつった。マジックが怒りのオーラを背負いながら、ぽたぽたと薬をしたたらせていた。次の瞬間、
ポンッ
ピンクの霧の中に、コウモリがいた。目つきがマジックそのままである。
「まずったぎゃあーっ!!」
ぎらりんとコウモリの目が光った。さすがにこの状態で秘石眼を使うことはできないのが、ウィローの救いである。
ここは何もなかったことにして、三十六計するか、それとも――。
「……ま、ええか。別に毒性はねゃあし。手違いだぎゃ、許いたってちょ、おやっさん」
きゃらきゃらとウィローは笑った。事態をまるで深刻に捉えていない。その時、いきなり扉が開いた。
「総帥! 今、叫び声が……総帥?」
総帥室の扉を衛っていたティラミスとチョコレートロマンスが中に飛び込んできた。彼らは室内を見回し、硬直した。あまりにも見覚えのある顔のこのコウモリは……。
「ま……まさか……」
「総帥ーッ! なんてお姿にっっ」
ティラミスはコウモリをかき抱いた。マジックが人間の姿だったら決してできない行為である。
「ウィロー副参謀長! 一体何ということをッッ!」
「早く総帥を元の姿に戻すんだ!!」
二人の視線を集中させたウィローはあっさり答えた。
「無理こいてかんて」
「は? 無理?」
「ほうだぎゃあ。中和薬なんかあれせんわ。ワシにも作り方のわっかーせんようなもんを飲ませられるわけねゃあがや」
「と、すると……」
チョコレートロマンスとティラミスは顔を見合わせた。
「総帥はこのままずっと……」
自分たちはコウモリの治める暗殺者組織で働くことになるのだろうか。ちょっとしたくない未来予測である。
ウィローはきゃぱりんと笑った。自分のしたことに反省のかけらもない辺り、やはりドクター高松の助手であった。
「安心しやあ。効力は弱いで、一週間もすれば元に戻るぎゃあ。気長に待っとりゃあせ」
総帥室に木枯らしが吹き抜ける。ティラミスの腕の中で、コウモリが身じろぎした……。
それから一週間後、ウィローの研究室が眼魔砲のせいらしい爆発を起こした理由について、真実を知るものは頑として口を閉ざしたままであったという――。