いくつもの星の下で〜いつも いつも〜
武者のコージは、木々の枝の切れ目から覗く星を見上げていた。
右肩が急に重くなったのに気づいて、重力の原因に視線を移す。隣に座るアラシヤマが、コージに寄りかかっていた。
「アラシヤマ?」
微かな寝息が、それに答える。コージは小さく笑った。
「何じゃ……寝ちまったんか」
無理もない、と思う。今までの数日間、殆ど一睡もしないで、ずっと気を張り詰めたままだったのだから。課せられた責任と緊張状態の中、ここまで破綻がこなかっただけでも称賛に値するかもしれない。
アラシヤマの、思いの外幼い寝顔をコージは眺めやった。これだけを見ていると、冷静かつ正確な指示を絶えず与えながら戦場を駆けていた指揮官と同一人物とは、とても考えもつかない。
連日の行軍と野営で、すっかり薄汚れ、髪はばさついてしまっているが、それはコージとて同条件である。元からこんな感じな分、彼の方がギャップが少ないだけだ。
身綺麗にすりゃ、随分な別嬪さんじゃのにのぉ……。
別に人間の価値がそれで決まるわけではないし、そもそも場違いな感想ではあるのだが、何とはなしもったいなくもあるコージだった。
アラシヤマを起こさないように留意しながら毛布を掛け直し、コージは、体重をかけられていない空いた左手を頭の後ろに持っていって樹の幹に背を預けた。
アラシヤマの性癖からいって、すぐに自主的に目を覚ますだろうが、それまでできる限り眠らせてやろうとコージは決めた。
……懸命にただ一人で立とうとする青年の、確かな支えは無理にしても、せめて杖代わりの小枝にはなってやりたかった。
戦闘に際して、いざとなれば自らアラシヤマの盾になる程度の覚悟は持っている。……こんな、血に飢えた、戦争気狂いの命をくれてやるくらい、惜しくはない何かを、この年少の同僚は秘めているのだ。
とりあえず、自分の横で緊張の糸をほどき眠ってくれる、というのは、ある程度信頼し安心してくれているからだ。少なくとも嫌われてはいないらしい。
その事実はコージを満足させ、より一層アラシヤマを衛る意欲を増加させた。保護欲でも、憐憫や同情でもない。アラシヤマは今、部隊の長であり、指揮権の所有者なのだ。旗印を喪うことは麾下の敗北を意味する。叩き売りでも買い手のつかないような安い命で購えるものなら、それにかえても将は守られねばならなかった。
「それに……この意地っ張り加減が、わしゃあ結構好きじゃしな」
呟いて、コージは木の葉に隠された空を仰いだ。一体アラシヤマはどんな夢をみるのだろう……。
物心ついた頃には、既に炎を自在に操ることができるようになっていた。
火球、火柱、陽炎……かたちを変えながら意のままに出現させることのできる炎。
発火能力、とそれを呼ぶことさえ、当時の自分は知らなかった。ただ、自ら発するその火炎が、友達でありおもちゃだった。
己の炎に包まれても別に熱くもなんともなかったから、それが他者にとっては普通の『火』として認識されるなど、考えも及ばなかった。
初めて人を殺したのは、四歳の時。
道端で一人で遊んでいた自分に、見知らぬ男が話しかけてきた。猫なで声を出した挙句、強引に手をとり連れ去ろうとするのが嫌だったから、単純に驚かすつもりで火を出した。
自分には平気な炎で全身火だるまになって悶絶する男が不思議で、そのままずっと見ていたら、やがて動かなくなった。燃えひろがる炎が綺麗だった。……死ぬ、ということの意味も知らなかったから、怖くはなかったけれど、その時初めて、自分は他人との感覚のずれを現実に意識したのだ。
五歳の時、同じようなことをやった。幼稚園で、乱暴な園児を燃やしたのである。常人の持ち合わせぬ能力ゆえに、「やってはいけないこと」という禁忌を教えられていなかったから、その行為を何とも思わなかった。自分では、ちょっとひっぱたいたのと同じ次元のつもりだった。
面白くはなかったのですぐに火を消したから、幸いにして相手は軽い火傷を負っただけで済んだが、出現した『化物』が、地域ぐるみの問題に発展するのにさして時間はかからなかった。そして自分は必然的に転園することになった――その先がガンマ団に連なる教育組織であることも知らずに……。
時が過ぎ、『理事長』の一人息子であり学生会長を務めるシンタローに憧れて、二年もの飛び級を実行した。彼と同じ場所に立ちたくて。追いつきたくて。そしてそこで初めて学校の裏の成り立ちを知り、戦闘に身を投じ、殺し屋としての訓練を受け……。どうやら軍人としての素質には恵まれていたらしく、やがて未来の幹部候補の名を得るまでになった。
何も見えないほど懸命だった。己の持つ発火能力――幼い頃から師匠につき更なる強化を図ることとなったそれを、役立つものとして評価してくれたのは、ガンマ団だけであったのだから。
それでも自分は相変わらず化物だった。それはそうだろう、と思う。いきなり二歳も下の『エリート』の同格者が割り込んできて、しかも、過去に人死にまで出した炎使いという肩書きを持っていたら、誰が傍に寄ろうとするだろう。
社交性とは無縁の性格であるのは本人が判りきっていたから、日常レベルで受け入れてもらうことも叶わなかった。せいぜいが、遠巻きにしておいて能力のみを必要とするだけだ。それでも充分だった。疎まれても卑下されても、自分の力を組織が必要としている限り。『自分自身』を誰も望まなくても。
……なのに、いたのだ。平気で自分に接してくる物好きが。公明正大の権化が。
何も考えていないような顔をして、その実深遠を見極める瞳を持つ、それはかつての年長の同級生だった。彼がいなければ、彼の、太陽のごとき明るさに救われなければ、いずれ自分は完全に己を壊してしまったに違いなかった。
怖がりもせず、追従もせず、けなしもせず、自分と普通に付き合おうとする稀有な存在……。
嬉しかった、のだ。あまりに経験がなさすぎてそれがどんな感情なのか判断がつかないくらいに、自分は嬉しかったのだ――。
「う……ん……」
何かに寄りかかる姿勢を変えようとして、アラシヤマははっとして目を開けた。……眠ってしまった?
「もう起きたんか。まだあとちぃとは寝とると思ったんじゃがの」
アラシヤマがもたれかかっていた相手であるコージは、余裕を持った笑みを向けた。
慌てて、アラシヤマは身を離した。なんという失態を見せてしまったのだろう。そんな場合ではないのに眠り込むとは。
「……すんまへん。こないなつもりなかったんどすけど」
「ええんじゃ。わしはしょっちゅう眠らせてもろうとるけん、ぬしと違ってまだゆとりが残っとる」
コージは指を頭の上で組み、ぐっと身体を伸ばした。アラシヤマは時計を見やった。
「……あと一時間、どすな」
「おお、わしに任せとけ。片手で一個小隊は片付けてみせるけんのー」
「頼もしゅうおますな」
「それと……」
コージは言葉を切った。小さく首を傾げて、アラシヤマは今限りの部下を見る。
「ぬしは絶対に衛る。敵共をまとめてただの肉の塊にしようが、逆にわしがこま切れにされようが、最後の最後まで何があってもじゃ」
表現は穏健ではなかったが、ふっとアラシヤマの瞳に浮かぶ色がやわらかいものになる。
……そう、だからきっと、自分は……。
彼は軽く頷いて立ち上がった。
「頼りにしとりますえ。……さてと、そろそろみんなを起こしに行かんと」
手早く毛布をたたみ、先に立ってアラシヤマは歩き出した。無造作に自分の分を抱えながら、コージはその後を追った。
「そういえばの、アラシヤマ。先刻観察しとったんじゃが……」
「ぬし、枝毛多いのぉ。思わずナイフで切るところじゃったぞ」
「……っ! あんさんに言われる筋合いとちゃいますッ。第一、男がそないなもん気にせんでも困りまへん」
殊更につっけんどんな物言いをして、アラシヤマは止まりかけた足を再始動させた。
気負いはすっかり抜けている。これもコージのおかげかもしれない。
コージは面白そうに笑いつつ、一歩後ろをついてゆく。
アラシヤマ指揮下の部隊が、ガンマ団本部にほぼ無傷での任務成功の通信報告を遂げるのは、今より幾時間か先のことであった。