Re Birth


「アラシヤマさんアラシヤマさんアラシヤマさん!」
 紙カップのコーヒーのボタンを押してから、仔犬がまとわりつくような呼び声にアラシヤマは振り向いた。
「ウィローはん。どうしはりましたん、そないに呼ばれんでも聞こえとりますえ」
 目の前には、知己である若者の姿があった。魔法使いの二つ名のとおりにとんがり帽子とマントをまとっていることの多い名古屋ウィローだが、今日は軍服姿だ。支給されたそれは、将来への展望もしくは願望によってワンサイズ大きいのか、袖を折り曲げて着用していた。
 はあ、と息をついて、ウィローは大きな瞳でアラシヤマを仰ぎ見る。未だ埋めきれない身長差のゆえだ。
「やっとこさ見つけたぎゃ、ワシ、でゃあぶ捜してまったがね」
「わてを捜して? 何ぞ用事どしたやろか」
 アラシヤマは軽く首を傾げた。ピピピ、とコーヒーの注ぎ終了を示す電子音が鳴る。ウィローは音の原因をちろりと見やって幾分呆れた顔になった。
「自販機のコーヒーなんて飲まっせるの? 味ねゃあだけで金の無駄遣いだがや。ほんなもんええで、ちょーこっちいりゃあせ」
 くいくい、とウィローはアラシヤマの上着の袖を引っぱった。最近ではよくあることではあるが、年齢に比して子供っぽい要求に、アラシヤマは苦笑した。
「せやから、何の用事ですのん。そないなもんて言われたかて、もうできあがってもうたもんは、飲まなもったいのうおますやろ」
「うー……しゃあねゃあな、ちゃっと飲みゃあ」
 ものを無駄にする、ということに対しては思うところがあるらしく、ウィローはしぶしぶといった様子で取り出し口を指差した。
 苦笑のまま、アラシヤマは紙カップを取り出した。ふわり、とそれなりに香ばしい匂いが立ちのぼる。別にコーヒーが好きなわけではない。まして、安物のインスタントをおいしいと感じたこともない。単に手軽で安いからという理由だけで、彼はしばしばこのベンダーを利用していた。
 カップに口をつけて、こくりと一口飲む。熱さと苦さが舌を刺激した。
「あぁ、ウィローはんも飲まはります?」
 ふと心づいて、アラシヤマがカップを軽く掲げてみせると、ウィローは胡乱そうな眼差しを向けた。
「それ、ミルクと砂糖、増量で入っとるきゃあ?」
「ブラックどすけど」
 増量どころか、最初からミルクも砂糖も入ってはいない。アラシヤマが告げた事実に、ウィローの目線が信じられないものを見るような気配を漂わせた。
「ブラックなんか人間の飲み物だねゃあがや」
 ぼそっと呟くウィローが妙に幼くて、アラシヤマはそっと目を細めた。
「ウィローはんは味覚がまだおぼこなんどすなあ」
 己がウィローと同じ年齢の頃はどうだっただろうか? 甘いものは昔から好きではなかったが、それでも確かにまだ完全なブラックは苦手だった気がする。そう考えれば、とりたててウィローの味覚が変わっているということはないのかもしれない。
 そんなことをつらつらと考えているアラシヤマの態度が気に障るのだろう、ウィローは、眉をきゅっと引き上げた。
「ワシのことなんか関係ねゃあが。ちゃっと飲みゃあて言っとるぎゃあ、とろくせゃあ人だなも」
「……そやけど、ホットですさかいなあ、がぶ飲みするわけにはいきまへんし」
 アラシヤマは、のんびりとコーヒーを啜った。いや、これでも多少は急いで飲んではいるのだ。
 発言に、ふ、と考え込むようにウィローは小首を傾げた。くるりとカールした長めのサイドの髪が、肩に触れて柔らかく弾んだ。
「冷めればええんきゃ?」
 口の中でひとりごちて、一人で納得した様子でウィローは頷いた。
 ぱちん。右手の指を鳴らす。
 一拍の間をおいて、もう一度。
 次の瞬間、アラシヤマが手にした紙カップの中には、空中から出現したクラッシュアイスが一握りほど、バラバラ、と雨あられのごとく降り注いでいた。
「ぉわっ」
 鼻先を掠めるようにして、中身がこぼれない程度に己のカップを埋める氷に、アラシヤマは声をひっくり返らせた。ウィローは、得意げに見える表情で年長者を見つめる。
 若き魔法使いによって喚び出されたものだとすぐに悟り――というより、他に考える余地はない――アラシヤマは気が抜けたように息を吐いた。
「えろう無茶しはりますな、あんさん」
 ウィローは悪びれもせず、きゃら、と笑ってみせた。
「冷めりゃええんだろ? ちーとばか手伝ったっただけだがね」
「そら、おおきに」
 笑うよりなくて、アラシヤマは生ぬるくなった『好意』のコーヒーをぐいっと飲み干した。結局、何をされても相手がウィローである限り許せてしまうのは、この若者が、己に対して本気で害なす自己意思を持つことはないと感じているからかもしれない。師であるドクター高松と組んでは、しばしば団員を良心の仮借なく実験台扱いするウィローだが、アラシヤマは対象に含まれたことはなかった。
 ベンダーの横に置かれたごみ箱に、潰したカップを放り込む。途端に、アラシヤマは腕を引かれた。
「ほんならいこまい」
「へえ。せやけど、どこに用でっか。せんぐり訊いとりますのにいけずなお人どすなァ」
 アラシヤマは素直にウィローに引きずられていった。
 単純に振り切るだけならば、真剣に逆らうまでもなくウィロー一人くらいどうにでもあしらえる。それは、持てる能力の優劣というより、ガンマ団の実戦方面のナンバー2として幾多の戦闘の渦中に身を投じてきたアラシヤマと、そこにおいて彼らが勝利をおさめる為の作戦を立案し、また、得意分野の薬物研究で後押しする立場にあるウィローとでは、はなから方向性が違い、比較しようがないからという方が正しい。
「着くまで秘密だがや」
 時折振り返りながら、先に立って青年の腕を引っぱるウィローの顔は、至極楽しそうなものだった。


「連れてきたぎゃあ。入るでよ」
 一つの部屋の前で、扉脇のインターホンのボタンを押してウィローが声をかけるのを、アラシヤマは眺めていた。殆どこちらへは来たことがないが、科学セクションの端の方にあるこの場所は、近頃、第二研究室としてウィローが使っている部屋だと記憶している。元々の研究室はすっかり大量の書籍と実験道具と材料とで空間の大部分が埋め尽くされているが、こちらは研究が佳境に入った際にそのまま泊まり込めるように仮眠用ベッドも置かれていたはずだ。
 ウィローはインターホンの上部を占めるオートロック装置に軽く指を触れさせた。かちりと何かが外れる音がして、扉が自然に開く。
 軽い足取りで、ウィローは室内に入っていった。
 アラシヤマは首を捻りながら後に続いた。ウィローが声をかけるということは、中に誰かいるのだろうが、この若者が己の研究室に誰かを招き入れ、しかもそこで待たせているという事態がまず信じがたい。先年以来やけに懐かれている感のあるアラシヤマでさえ、入るにはいくばくかの躊躇を伴う。
 他に可能性があるというと……科学スタッフつながりでその師のドクター高松と、グンマ辺りか。あまり顔を合わせたくはないが。あとは、思い当たるのは一人――…
 考え込んでいたアラシヤマは、常ならば怠らぬ周辺認識とそれに対する反応を鈍らせていた。場所が知己の研究室であるという事実も関与していたかもしれない。
 ――パンッッ!!
 突如響いた、何かがはぜる音に、アラシヤマははっと身構えた。注意力散漫であったことを自覚する。
「何や!?」
 声を投げた青年は、しかし目の前で踊る色彩に思考停止してしまった。
「……へ?」
 間の抜けた間投詞を洩らしたアラシヤマの眼前で、金銀の紙吹雪とカラフルな紙テープが舞い散っていた。そして、微かな火薬の匂い。
 パーティー用のクラッカーが鳴らされたのだ、と気づくのには、数瞬の意識の立て直しが必要だった。
「な……何やのん?」
 アラシヤマの前にいたのは、彼をここに招いた、まだ少年じみた小柄な若者と、もう一人、立っているだけで壁のような、巨躯の男。
 男は、手にいくつものクラッカーを掴んだまま、にかっと笑ってみせた。
「近頃、澄ましちょーばかりじゃと思っとったが、ぬしもまだそげな顔をするんじゃのお」
「コージ、はん」
 自分に向けてクラッカーの紐を引いた男に、アラシヤマはようやく茫然から復帰して咎める眼差しを向けた。
「何しはりますの。人にそないなもん向けんといておくれやす。危のうおますやろ。但し書きにもたぶん載ってますやろに」
「おお、すまんの。じゃけぇ、ぬしなら平気じゃろ」
 ねめる視線を意にも介さず、コージは笑みを崩さない。今更そんなことで引くほど、僚友としての付き合いは浅くはなかった。
 アラシヤマは溜息をついて、ウィローとコージを交互に見た。
「で、これは何ですのん。わてをびっくりさすんが目的どすか?」
 アラシヤマの言に、ウィローは思いきり仰ぎ、コージはかなり俯いて互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。それから、呆れ顔の京都出身者に向き直る。
「「アラシヤマ」さん」
 声が重なり、続くものはそれぞれの言葉で告げられた。
「誕生日、おめでとさんだぎゃ」
「ぬしの誕生祝いじゃけんのォ」
「誕生、日?」
 アラシヤマは鸚鵡返しに呟いた。面食らって眉間に皺をつくる彼に、ウィローは再び腕を絡めた。
「前に、九月十二日だて教えてくれやぁたがね。今日だろ?」
 腕を引っぱって、ウィローはアラシヤマを奥のテーブルへと連れて行こうとする。
「ほんだで、ワシ、パーティーをしよまいて勘考したんだが。持ち帰りのもんだけどよ、食べ物と飲み物も用意したるんだぎゃあ。一緒に食おみゃあ」
「……すっかり忘れとりましたわ、そんなん」
 アラシヤマは、ぼそりと口の中で独語した。
 本当に忘れていた。日々に忙殺されて、日付と曜日の感覚さえ漠然としてしまっている毎日だ。総帥の息子が、その一族の宝を奪って逃走して以来、ガンマ団内に流れる空気はいつもどこか殺気立っている。私事など考える余裕はアラシヤマにはなかった。――否、考えないようにしていたのかもしれなかったが。
 第一、己が生まれた日など。
「わての誕生日なんて、めでとうも何もあらしまへんえ?」
 彼にとっての事実を、アラシヤマは舌に載せる。
 小さなケーキを中央にして、チキン&ポテトのプレートとジュースやワインの瓶が置かれたテーブルに、促されるまま彼は腰を下ろした。
 ウィローは向かって右にちょこんと、コージは左にどっかりと座って、言い訳めいたアラシヤマの台詞を聞き流していた。
「まあまあ、せっかくの祝い事じゃ、素直に受けちょくんもええじゃろ」
「コージはん……あんさん、祝いにかこつけて騒ごうて思うてはるだけどっしゃろ」
 アラシヤマはじろりと同僚を一瞥する。がはは、と笑うコージからは、否定も肯定も返ってこなかった。
「ワシが誘ったんだぎゃあ。おみゃあでなてワシが勝手に祝いてゃあんだで、まあええがや」
 ウィローはけろりと告げた。それでも、ここに他に人がいないところから考えるに、他には誘わなかったか、誘っても断られたかのどちらかなのだろう、とアラシヤマは推察した。コージであれば、アラシヤマとて馴染みは深い。
「……ほんとは、シンタローさんとか、ミヤギトットリも、おりゃあたら呼びたかったんだけどよ」
 幾分小さな声で、ウィローは今はここにいない者たちの名を口に出した。
「まさか、パプワ島に招待状を出すわけにはいかーせんで。それにドクターには会いたねゃあだろ? だで三人だけになってまった」
 どことなく淋しげにウィローは口元だけで微笑う。
 すぐに表情を切り替えて、ウィローはぽんと手を打った。
「ほれ、始めよみゃあか。アラシヤマさん、甘いもんは好きだねゃあだろ、このケーキは甘さ抑え目だで、これだったら食えるぎゃあ」
 パーティー主催者の言葉に合わせ、コージはきりきりとワインの栓を抜いた。ぽむ、と微かな音をたてて開封されたそれを、二つのグラスに注ぐ。ウィローは自分でアップルジュースを引き寄せていた。
「ぬしの分じゃ」
「へ……へぇ、おおきに――、て」
 ペースに巻き込まれたまま、差し出されたワイングラスを受け取ってから、不意に心づいてアラシヤマはグラスの中身を見下ろした。
「今、勤務時間中どっせ。酒はあかんのとちゃいますか」
「次の会議まで二時間あるじゃろ。それまでに醒めりゃええけんの」
 堂々としたコージに、ウィローも頷いた。
「ばれーせんかったらええぎゃ。飲みゃあて」
 一方的で、しかし決して己にとって不快感を与える態度ではない勧めに押し切られ、アラシヤマは目礼を返した。
 同じくワイングラスを手にしたコージと、アップルジュースのコップを掴んだウィローは、それを、つい、とアラシヤマのグラスに向けた。
 かちん、と透き通った音が響く。
「――乾杯!」
 明るいウィローの声。コージは早々と、それこそ水でも呷るようにぐいっとワインを喉に流し込んでいる。
 アラシヤマは微苦笑して、そっとグラスに口をつけた。
 酸味と、ごくわずかな甘みが広がる。見るとはなし見やるアラシヤマの前では、ウィローがいそいそとケーキを切り分けていた。
 楽しそうな参加者の前では、祝われる当人が「別に祝われたくなどなかった」とも言いづらい。好意はそのまま受け取っておくべきなのだろう。
 己の誕生日、それは、一つの化け物が生まれ落ちた日だ。名家ではあったはずだが寒々とした屋敷。暴力的な虐待を受けたことはないが、全くと言っていいほど構われることなく重ねた日々。
 決して忘れえぬ、すれ違うたびに呪詛のごとく繰り返される「化け物」と罵る声、その目つき。
 今日は、周囲を不幸に陥れる化け物がこの世に現れた日。そんな己の、一体何を祝うというのか。
「アラシヤマさんッ」
 自嘲の色を瞳に宿すアラシヤマの顔を、身を乗り出すようにして覗き込み、ウィローはにっこりした。
「ケーキ、食べやあせ。おみゃあさんには、いっちゃんできゃあのを切ったでよ」
「あ、あぁ……そうどすな」
 反射的に首肯して、アラシヤマは手前に置かれたフォークを手に取った。
 中は抹茶風味らしく、渋い緑色をしたスポンジが覗いていた。これなら確かに食べられるか、と思い、ケーキの端をフォークにすくう。
 ――めでたくなどない、生まれたその日。けれども、こんな風に誰かと過ごすことのできる時間があるならば。赦されざる者である己がここに在る現実は、まだ天から猶予つきで見逃されているのだろう。
 アラシヤマは、すっかり宴会モードで飲み食いしているコージと、頬にクリームをつけてフォークをくわえているウィローを眺めやった。
 呪われているはずの日を、義理ではなく、祝いたくてそうしたのだと言ってくれた相手。
「……おおきに、ありがとさん」
 殆ど声に出さずに呟いて、アラシヤマはケーキを口にした。
 彼の心情を表すように、微かにほろ苦い甘さが、ゆっくりと静かに溶けた。



>>>取説NovelTOP