世界征服のすすめ


「えー、諸君」
 マジックは、集会場に揃った団員をぐるりと見回した。
 最後列に近い位置に、シンタローは佇んでいた。彼の傍には、ミヤギ、トットリ、アラシヤマ、コージといった、のちに遥か遠方の島で行動を共にすることになる、実戦方面のエリートたちが固まっている。
「あ、おーい! やっほー、シンちゃーん! パパの声、そっちまではっきり聞こえるーっ?」
 演説台の上で、マジックはぶんぶんと手を振った。
 不意のことに、がくっ、とシンタローはこけかける。
 ……まともに喋れないのか、あの父親はっ。そんな眼差しを前方に向けるが、壇上の、場を統べる者はあくまでにこやかだ。
 周囲の視線が、シンタローに注がれていた。溜息をついて、彼はひらひらと手を振り返した。
「いいようだな。では、始めよう」
「……何が始まるんだっちゃか?」
「シンタローはんは知ってはるんどすか?」
「んー、まあ、大雑把な中身は。すげーめちゃくちゃだけど、一見――いや一聞? の価値はあるかもしれねえ」
 本当は認めたくない、と言いたげな表情で、シンタローは同僚に答えた。マジックは草稿に目を落とす。
「諸君らは、わがガンマ団の一員だ。ガンマ団といえば、世界に冠たる殺し屋組織……無論、それだけが全てではないが、最終的な目論見は世界征服にあることを、君たちは既に知っているだろう。だが、それは一体どのようにすればいいのか? 仮定に基づき、今日はそのことについて話を進めたいと思う」
 一旦言葉を切り、マジックは演説テーマを発表した。
「――『世界征服のすすめ』」
「でーっ、やっぱ最っ低……。あいつ、ネーミングセンスとかコピーセンス、まるきり持ってないんじゃねえのかァ? もちっとまともなタイトル付けりゃいいのに……」
 シンタローは心底嫌そうに呟いた。別にセンスなどなくとも中身がすばらしければいいのだが。
「……世界征服は、一朝一夕にしてできるものではない。入念な根回しが必要だ。切り崩しやすい部分から責めることも肝要である。そこで、……そうだな、日本人の団員もここには多いことだし、日本を征服する場合を例に取ってみよう」
 多いも何も、シンタローの士官学校入学以来、日本人もしくは東洋系が団員の主を占めているのが実情なのだが、それの持つ意味を正しく知る者は、今ここにはいない。
「日本を征服する為には、要は日本語を使えなくし、意思の伝達を不可能にしてしまえばいい。日本語を崩壊させるわけだ。その上で乗っ取りをかける。述べてしまえばこれだけのことだが、その為にはどのような手段を用いればいいだろう。考えてみたまえ」
「……弾圧しちまえばええんでねえべか?」
 ミヤギは囁いた。シンタローは、愚かなと言わんばかりの目で見返した。
「恐怖政治やってどーすんだよ! 日本の植民地支配のパターンを地でいく気か?」
「そげなこと言われでも……」
 壇上では、マジックが先を続けていた。
「長期的な展望で行なうには、被支配者の反発を最小限に食い止めねばならない。人道的見地、ヒューマニズムに則った、お涙頂戴大好きの国民性に訴える手段を取ることが必要だな。つまり――差別用語の撤廃」
 会場中にざわめきがはしる。差別用語なら、出版コード抵触や放送禁止用語といった方法で、今だって避けられている。この方法で、どうしたら日本語を崩壊させられるのだろう。既に大まかな内容を知っている――正確には一方的に聞かされている――シンタローだけが、肩をすくめて黙っている。
「といっても、差別だ差別だといきなり騒いでも、奇異な目で見られる恐れがある。……ちびくろサンボ、という物語が、黒人差別だというので、有害図書指定で一九八八年以降全面的に絶版になっているのは知っているな。しかし、ならば、白い肌を強調した『白雪姫』は何故指定を受けないのか。答えは、大人が読み聞かせるか、子供が自分で読むか、作品のその差にあるわけだ。大人はとかく、青少年の健全な育成を大仰に騒ぎ立てたがる。……日本の未来を担う子供たちに、『教育上よろしくない』と思われる言葉を覚えさせてはならない。どうだ、ヒューマニズム溢れる、思いやりに満ちた意見じゃないか。誰も我々の真の目的が、日本語の崩壊にあるとは思いもよるまい。まずはそういう名目で、差別に当たる言葉を排除してゆく。次第に、世論もそちらの方へ流れることだろう――」
「とんでもない論法じゃのぉ……面白いが」
 コージはひとりごちた。いったいこの先どう展開するのだろう。
「まあ、その辺りのところは割愛するが、とにかく、何が何でも殆どの言葉を差別用語とみなしてしまえばよろしい。誤解曲解OK。直截的表現でなくとも、差別感を連想させるだけで、それはもう駄目だ。過去にまで干渉して取り沙汰するのもいいだろう。ああ、固有名詞はあらかた使えんな。……例を挙げてみよう」
 マジックは一冊の文庫本を手に取った。
「これは、角○文庫だ。……今からもう一昔も前のことになってしまうが、社長兄弟分裂の闘争とその後の兄の麻薬取締法違反による逮捕、といった事件があったからには、角○はいかんな、○川は。世の中の同姓の人間が、長きにわたり、犯罪者と同じ苗字だというので、理不尽にも肩身の狭い思いをした可能性を否定できない。まずこれを削除だ。ついで、文庫。これには何の問題もないだろうか? 文庫というのは基本的に新書版より廉価で、普及版ということになっている。『普及』していないと断じられた新書版書籍に対して失礼だな。また、文庫の本来の意味は、書物を収めておく蔵、書庫だ。ということは、図書館だ。……身近に図書館のない地域の人が『文庫』の一言で差別感を煽られるかもしれない。これは、前述の連想パターンに曲解を上乗せしたものになるな。――削除」
 たかだか『○川文庫』の一語で、よくこんなにこじつけられたものである。聴講者は半ばマジックの話法に引きずり込まれ、固唾を呑んでいる。
「内容についても触れるかね? 一文だけ抜き出してみよう。ちなみにア○スラーン戦記第二巻だ。『はずむような足どりで家のなかへはいっていく少女を、ナルサスはやや呆然とながめやった。』……はずむような足どり、って、足の不自由な人はどうするのだろうね? 家のなかへはいっていくって、俗にホームレスと呼ばれる生活をしている人間が羨望と共に差別を感じないだろうか。第一、これは自宅ではなかったのだから、一歩間違えば住居不法侵入罪適用だ。ファンタジーにそんなものはない? 思い出したまえ、誤解してもいいんだよ。で、少女。男なら少年というな。年若い者という意味であるのに、それはなぜ男だけを指すのか。女性蔑視だな。……次の名前については今更言うまでもないし、呆然の呆は痴呆の呆、看護に疲れている身内にとっては文字だけで苦い思いが湧いてくるかもしれない。ながめやったというのは、目の見えない人に対して差別だ。――ほら、助詞と副詞しか残らないだろう。ことほどさように、ほぼ全ての単語は差別用語になり得るわけである」
 ここまでくると、こじつけもお見事としか言いようがない。
「そしてどんどん使用可能な日本語は減ってゆく。こーんな分厚い広辞苑だとて、語彙がなくなればページ数はがたっと減る。めざせ! パンフレット厚の広辞苑! これを合言葉に、用語削除の嵐風を吹かせたい。……だがしかし、削除し続けるだけでは芸がない。ここは一つ、我々で『差別にならない言い換え用語集』を発刊してみたらどうだろう。一言言うたび、記すたび、差別になるのではないかと怯えるようになる日本人にとって、もはや必要不可欠の書となるはずだ。国民は買わざるをえない。そう、どうせなら豪華装丁にしよう。五色分解フルカラーにホログラム加工、更に箔押しだ」
「同人誌のフェアじゃねえっての……」
 シンタローはぼそりとぼやく。何故それを同人誌と判るのかについて、深く問うてはならないのかもしれない。
「発行元である我がガンマ団には、印税で収益金が転がり込む。労せずして活動資金調達もできてしまった。いいことではないかね?」
 マジックはざっと聴衆を見渡した。感心したように頷く者、メモを取る者、唖然とした面持ちで聞き入る者――。
「――更にもう一つ狙ってみようか。固有名詞全廃となると、地名も駄目だな。言い換えなくてはならん。たとえば、そうだな……名古屋」
 集団の後方にいた名古屋ウィローは目をぱちくりさせた。
「何を言わせっせるんきゃあも……」
 自分の出身地がどう料理されるのか、興味津々で壇上を見つめる。
「中部地方で人口二百万人以上を抱える大都市、とでもなるか。だがこの表現ではまだそれ自体が差別用語だな、人口の少ない町が怒る。と、すると、座標で表さなくてはならん。北緯何度東経何度……緯度はともかく経度は、英国のグリニッジ天文台跡地の子午線が基準だ、基準にならなかった他国に対する不当な差別になるな、まだいけない。この際だ、我々で新しい座標を設定してしまおう。そのものずばりではならないから、ランダムにするために乱数表も必要になってくる。二冊組の本だな。地名一つ指すにもそれがなくては一言も話せないから、やはり国民は買わなくてはならない。得をするのはガンマ団だ」
 あざといほどの手口。その父らしさに、シンタローは苦笑を禁じ得ない。
「本題に戻すと、その頃には日本語は破壊されつくしているわけであるから、国を乗っ取ることも容易だ。さあ、差別用語を削除するという人道的手段で、自らの手を汚すことなく日本を征服できてしまったぞ。いやめでたい」
 まばらな拍手。アラシヤマは恐れがちに呼びかけた。
「あのぉ……シンタローはん?」
「何だよ?」
「わて、聞いとって思ぅたんどすけど……日本語を崩壊させるゆうことは、わてらも喋れへんのとちゃいますのんか……?」
「おお、言われてみりゃそうじゃの。アラシヤマ、ぬし、頭ええのお」
 コージはアラシヤマの頭をぐりぐりと撫でた。殆ど子供扱いだ。
「コ……コージはん、やめとくれやすっ」
「照れんでもええ。これは世辞ではないけん、わしの本心じゃ、安心せえ」
「わてはそうゆうことを言っとるんやあらしまへん! あんさんの、犬猫でもあやしはるみたいなその手がどすなあ」
 当人の意思はさておいて、はたから見たらじゃれている以外の何者でもない二人の様子を、シンタローは呆れたように見やり、咳払いした。
「ふざけてると、後で減俸くらうぞ、おめーら。……まあ、話を聞いてろって。判るからよ」
「……さて、日本の征服も当座叶った。活動資金も集まってくる。だが、意思の伝達ができないほど日本語を使えなくしてしまったら、我々は一体どうやって喋ればいいのだろうか。英語か? 心配は無用だ、諸君。ガンマ団に在籍している限り、制約なしに日本語の使用を認める。それが特権だ。――お、するとそれを求めて入団希望を出す一般国民も現れるか。その中に、埋もれた原石のごとき存在がいないとも限らない。征服者側の立場に寄りたいという野望家も何パーセントかはいるだろう。人材確保の心配もなくなったな、いいことだ。そして、日本を完全に支配下に置き、人々も我々の支配を受け入れるようになったら、改めて国民に日本語の使用を認めることにすればよかろう。いつまでも統制していては、クーデターを起こそうという不穏な輩が現れかねんのでな。――細かいことはまだあるが、これで我がガンマ団の日本征服計画は完了した。そうなると、それを足掛かりに、次はいよいよ世界征服だ……」
 壇上のマジックは、一息ついてから語を継いだ。
「……といっても、その一環として日本の場合を例にとったわけであるから、あえて同じことを繰り返すまでもあるまい。ここは、世界を手中に収めるに足る組織の在り方について話をしよう。シーンちゃん、聞いてるかーい?」
 マジックはまた手を振った。
 シンタローは思わず拳を振り上げる。最後尾から彼は怒鳴った。
「余計なことをせずに話を進めんか、クソ親父ッ!」
「ごほん。――先ほども述べたとおり、支配下に置いた者たちの反発心をでき得る限り抑えることが、征服者の必須条件だ。その為には、地域に根ざした組織づくりが必要になってくる。悪の組織だからといって、工業排水垂れ流しのどこぞの工場のような真似をしては、あっという間にバッシングされてしまうな? 地球にやさしい悪の組織。決め手はこれだ。無論、我がガンマ団は、早くからそれに着手している。限りある資源を大切に、節電・節水、コピー用紙は再生紙を両面使用……。諸君らが日頃使用する兵器も、実は屑鉄の再利用だ。今ブームになっているエコロジーを重視した組織を作ることこそ、ひいては世界征服を成功させることにもつながるのである」
 世界征服も、こう言ってしまうと何だかせこい。
「一方、地域密着型の組織という観点だが、何はともあれ、地域の皆様に愛される組織たらねばならん。人助けもそのうちだ。たとえば、往来で大きな荷物を抱えた老婆が立ち往生していたとしよう。その場合には、迷うことなくその荷物を持ってやるべきである」
「そんで、親切そうな顔のまま、荷物を奪って素早く逃げるんだべな」
 ミヤギの台詞に、アラシヤマは白い目を向けた。
「……アホどすな、あんさん。そないなことしたら、いっぺんに憎まれてしまいますがな。これやさかい、顔だけのお人は……」
「ミヤギくんたら……」
 ベストフレンド・トットリにまで呆れ顔をされ、ミヤギはふてくされたような表情になった。
「……『お婆さん、荷物をお持ちしましょう。横断歩道は危ないですからね、私に掴まって。どこまでいらっしゃるのですか、お送り申し上げましょう。いえ、礼には及びません、ガンマ団の人間(ここ強調のこと!)として、当然のことをしたまでですから』――こうでなくてはならないな。さわやかな近所付き合いも欠かすことはできない。ゴミはゴミの日に。挨拶も好印象を与える機会だ、有効活用すべし」
 総帥というより『シンちゃんのパパ』のノリだ。たしかにマジックは実践しているに相違ないが、いまいちハクに欠けるかもしれない。……いつものことではある。
「また、自A隊が行かないような、やらないような危険な仕事も進んで引き受けたい。理由か? そうすれば、ガンマ団の名も上がるし、相対的に自A隊の弱体化を促進させることもできる……弱体化すれば、いざ我々が征服にあたった際、防衛措置を取ることが不可能となる。一石二鳥ではないか」
 どよめきがそこかしこで起こった。満足げに、マジックは小さく頷く。
「そのような日常を繰り返すうち、地域住民の警戒心が弛んでくる日が必ず訪れる。『何だ、悪の組織といったって、自分たちの生活に何の支障も及ぼさないじゃないか』と思わせることができればしめたものだ。その時、我々はゆとりを持って、邪魔だてする自A隊なり軍隊なりを気に掛けることなく、一気に殲滅・征服を成功させることができるのだ。――地域に根ざした組織づくり、地球にやさしい組織づくりが世界征服の必然であることを理解し得ただろうか、諸君」
 シンタローは腕組みして、父を遠目に眺めた。言うとやるとでは大違いだろうが、見事に畳み掛ける、この舌の回転の良さだけは誉めてやってもいいかもしれない。
「長々と話してきたが、自分に可能な世界征服の手段はあっただろうか? 君たちも機会があれば、我がガンマ団の為、また自己栄達の為、可能な手段を実践してくれたまえ」
 そして、一拍の間。
「――以上」
 静寂の後に、嵐のような拍手が会場を埋め尽くした。


「総帥のお話、面白かったっちゃね〜」
「……オラ、半分ぐれえしかわがんねかったべ……」
 わらわらと人が退いていく中、トットリとミヤギはそれに紛れた。
 アラシヤマは、混雑を避け、少しおいてから歩き出した。
 くいっと後ろから引き寄せるように肩を掴まれる。そんなことをするのは、団員多しといえども、一人だけだ。
「何どす? コージはん」
「アラシヤマ、この後、ぬしヒマかの?」
「暇……どすけど、それがどうしはりましてん?」
 アラシヤマはコージを仰ぎ見た。
「じゃったら、さっそく世界征服の第一歩を踏み出しに行かんか」
「世界征服の、第一歩……?」
「わはは。人助けじゃ。『皆様に愛される悪の組織』とやらの実戦じゃけんのー!!」
「ちょっ……待っとくれやす、コージは――…」
 反問を封じて強引にアラシヤマの肩を押し、コージは去っていった。
 シンタローは大きく深呼吸して、身体を伸ばした。
「はー……やーっと終わったぜ……」
「シ・ン・ちゃん」
 背後から降るよく響く声に、ぐっと呻き、シンタローは振り返った。
「まだいたのかよ!」
 先ほどの演説だか講義だかを終えて、とうに総帥室に戻ったかと思ったマジックが、手を挙げていた。できることなら会話は交わしたくない。
「パパのお話し、どうだった? ためになったかな?」
「……知らねーよ」
 つーん。そんな擬音つきで、シンタローは顔を背けた。マジックが、よよよ、と泣き崩れる。
「ひどい、シンちゃん……」
「うざってえ泣き真似してんじゃねェッ! 俺はこの後、用があるんだから、行くからなっっ」
 シンタローは叫んで、そっぽを向いたまま立ち去りかけた。会場を出しなに、
「――親父!」
 ……言葉を投げる。
「講義、85点つけてやる!! ありがたく思えよ!」
 一瞬驚いたようにシンタローを見、マジックは鮮やかに笑った。今日の親子関係は、何とか保たれている部類に入るらしかった。


それからしばらく、マジックの世界征服のすすめは団員の間で妙に好評を博したのであった――。



参考/「自己資金0から始められる悪の組織」「悪の組織の為の世界征服戦略セミナー」



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