Calling



 カウンターに置かれたアンティーク調の電話機が軽やかな着信音を響かせる。研究機関専用ネット《ORACLE》の専用回線は、重厚な雰囲気で統一された室内に相応しく、施された細工も繊細な、一目で高級品と分かる調度品の一つとして具現化されていた。
 「…はい?」
 受話器を取ったオラクルの表情がふと緩む。
 「何だ、お前か…」
  『お前かって…そりゃねぇだろうよ。』
 回線の向こうで、オラトリオが不平の声を上げた。大げさにがくりと項垂れている様が見えるようで、オラクルはくす、と笑いを漏らす。
 「だが珍しいじゃないか、お前がこの回線を使うのは。」
 最近では大部分の研究所でディスプレイ越しのやりとりが可能になっている。だからオラトリオの声が聞こえてきたのが何となく意外だったのだ。
『…いーじゃねーか、たまには使ってみたかったんだよ。』
 ふてくされたような声の中に、ほんの少し違うモノが混じっているような気がして、オラクルは僅かに首を傾げた。 聞き慣れた声のはずなのに、アナログの回線を通したそれはどこか知らない人のようにも聞こえる。
 「ふうん?…まあ私は何でも構わないが…」
 お前が元気だと分かればな、と言うと、電話の向こうでオラトリオが困ったような咳払いをするのが聞こえた。
 「どうした、オラトリオ?」
 『どうしたっ、てお前…』
 あー、とかうー、とか言葉にならない声が漏れ聞こえてくるのがおかしくて、オラクルは小さく笑った。きっと今頃、オラトリオの白い指先は無意味に空をかき回したり、こめかみをぽりぽりと掻いたりしているような気がする。
 「…それより、何の用だったんだ?」
 そういえば、と思い出して問うてみる。今回の監査はそろそろ一段落付いたはずだが、何か問題でも起きたのだろうか。
 一瞬後、オラトリオから返ってきた答えに、オラクルはその雑音(ノイズ)の瞳をぱちぱちと瞬いた。
 『…用がなきゃダメか?』
 「駄目というわけじゃないが…」 
 じゃあ何で電話なんかするんだ、とオラクルは首を傾げる。
 『いいんだよ、用事なんかなくても。』
 「勿体ないだろう?」
 そんなことをしてないで、少しでも早く帰って来てくれた方が嬉しいのに。
 『けど、お前の声を耳元で聞きたかったからさ。』
 不意に落とされた甘い囁きがひどく近く聞こえて。
 オラクルは受話器を持ったまま、ことん、とカウンターに懐いた。
 「そうだな、顔は見えないが…とても近くに居るみたいだ。」
 『…全然足りねーけどな。』
 低く笑うオラトリオの声が耳に優しい。
 「…私もだよ?」
 もう帰れるんだろう、と言うと、すぐ近くでオラトリオが笑う気配がした。
 『おうよ。飛んで帰るからな。』
 「…お前に飛行ユニットはないはずだが。」
 『気持ちの問題だろ、こーゆうのはっ!』
 「そういうものか。」
 『もういい…とにかく帰るからな俺はっ』
 「分かった…気をつけてな。」
 最後の最後で何だか自棄のようにそう言い捨てた相棒に首を捻りながら、オラクルは受話器を戻した。ちん、と澄んだ音が聞こえて通話が切れる。その響きにふと先刻のオラトリオの声に混じっていた『何か』を思い出して、オラクルは僅かに微笑んだ。
 「『寂しい』って、こういうことかな?」
 なぁ、オラトリオ?
 声が聞きたいと思うこと。顔が見たいと思うこと。早く会いたいと思うこと。
 そう言ったらまた『世間知らず』と笑うだろうか、お前は?
 オラクルはくすくすと笑いながら、もう一度ちん、と受話器を鳴らした。
 
 ───早く帰っておいで、と言うように。