逆位置〜永遠の場所



 永遠に続くと思ってた。






「どうしてだよっ」
 叫ぶロボットには何もできない。
 オラトリオにとってこの日常は変わりなく続くはずのものだった。研究室でオラクルがいろいろ調べ実験し、オラトリオがそれを手伝う。ユーロパがオラクルの健康を心配してあれこれ言う。アトランダムはみんなの足元でうごうご蠢いている。
 馬鹿みたいな平穏な日常。
 もちろん時にはオラクルは熱を出して倒れた。オラクルを狙う不届き者をオラトリオがやっつけた。内緒の存在のアトランダムがばれそうになって大騒ぎしたこともあった。でも、それはすぐに終わること、解決することに過ぎなかった。
 だが、オラクルの身体の調子がこのところ悪い。涼しくなってきたからだとオラトリオは単純に思っていたのに、ユーロパの表情は冴えない。
「こんなに熱が続くことはなかったのに……」
 言われてもオラトリオには理解できなかった。オラトリオには熱は下がるものに過ぎない。オラクルは具合を悪くしても何日か後には治るものなのだから。
 元々オラクルは体があまり強くない。いや、それくらいでは表せないだろう。オラトリオが知る限り、オラクルは研究室という名の無菌病室に閉じ込められて暮らしているのだから。
 それでもその中にいさえすれば、今までは大丈夫だった。熱が出ればオラクル付きの看護ロボットのユーロパが看病して下げさせていたし、他の事だってユーロパが、それで足りなければ主治医が来ていた。
 なのに近頃はその頻度が高すぎる。オラクルを本当の『病室』に入れようという話まで出ているのをオラトリオは聞いてしまった。もしそうなったらオラトリオはどうなるのだろう。オラトリオはオラクルのために作られたロボットだ。だから、オラクルがこの『研究室』に居なくなって処分されても仕方ない。だが、嫌なのは処分されることでなく、オラクルと引き離されることだ。
「んなこといっている場合じゃないでしょ!」
 今日も熱を出しているオラクルにユーロパはオラトリオの話を聞く余裕もなかった。
「それどころじゃないって、あんたにはわかんないの!?」
 ユーロパの口調は激しく、オラトリオをぎっと睨みつける。何か言いたそうにしばらくオラトリオを睨んでいたユーロパだったが、ふいと顔を逸らして行ってしまった。
「なんだ、ありゃ……」
 オラトリオは忌々しげに舌打ちしたが、それをアトランダムの触手が引っ張った。オラトリオが見下ろすと、頭部だけのアトランダムはいつも以上にうねっている。
「オラトリオ………」
 だが、結局アトランダムも何も言わずに触手で這って行ってしまった。後には何もわかっていないオラトリオが残された。
 八つ当たり気味にユーロパに怒鳴られ、アトランダムに無視され、ようやくオラトリオは自分から動いた。調べた現実を知ることになってオラトリオは立ちすくむ。
 オラクルは元々20歳まで生きられないと思われていた。それを越えて生きている現在は奇跡で、いつ儚くなってもおかしくないということを。
「あんた、それくらいわからなかったの? オラクルが――」
 改めて問い詰めたオラトリオに何か言いかけたユーロパは、顔を覆ってそれ以上は言わなかった。言葉には力がある。口に出したら本当になるかもしれない。
 馬鹿馬鹿言われてオラトリオもむっとする。オラトリオだってオラクルの身体が弱いことは知っている。だからこの無菌状態の研究室に閉じ込められていることも。だが、今までのオラトリオにとっては、どういう状態でもオラクルは生き続けるものだったのだ。
「どうしてだよっ!」
 今更ながらに現実を知って叫ぶオラトリオを慰めてくれる者は誰もいなかった。







「オラクル」
 誰もいないのを見計らってオラトリオは研究室に入る。チューブに繋がれたオラクルが気付いてうっすらと目を開けた。
「どうしたの?」
「あのな……なんでもない」
 いくらオラクル付きの守護ロボットと言えど、ここ2・3日はユーロパや医者がオラクルにつきっきりでちゃんと顔を見させてもらうこともできなかった。蒼白い顔でもオラクルの顔を見れてオラトリオは安心する。心の奥のもやもやとしたものも消えていくようだった。
「変なの、オラトリオ…………………ごめんね」
 何故か謝るオラクルに意味を問い詰めようとした時、オラクルは再び眠っていた。








 数日後、オラクルの熱も下がって安心したところで、オラトリオは正信の元を訪ねていた。ユーロパは看護専用ロボットといえど人間ではない。数日前までのオラトリオのように誤解とかしているかもしれない。ロボットの彼女が知らないだけでオラクルの治療法はあるかもしれないではないか。
 オラクルの後見人の1人である正信は普段はアトランダムの本部に詰めていることが多いが、オラクルのこのところの体調の悪さに家に帰ってきていた。
 正信は大きく息を吐いてうつむいた。まるで涙を堪えているようだ。だが何故?
 しばらくうつむいていた正信はようやく顔をあげた。わかっていないオラトリオを見つめる。
「オラトリオ、僕らもそんな術があるなら知りたいよ。オラクルは二度とよくならない」
「冗談だろ? 人間だったら何か方法見つけられるんだろ?」
 オラトリオは馬鹿みたいに正信に迫っていた。
「すぐにではないさ。まだちょっとは時間の余裕がある」
 正信は座っていた椅子をぐるんと回してオラトリオに背を向けた。オラトリオは慌てて正信の前に回る。顔を見て話さないと。冗談だと笑う正信の顔を見なければいけないのに、正信は笑っていなかった。
「どういう意味なんだ、正信!」
 ロボットの力で迫ったら正信が『壊れる』。わかっていたのにオラトリオは押えきれなかった。肩を掴みぐいぐいと揺する。
「オラトリオ!」
 痛みに耐えかねた正信が叫んで、オラトリオはようやく我に返った。
「オラトリオ、人間はいずれは死ぬんだ」
 静かに言う正信の言葉がオラトリオにはわからなかった。『死ぬ』ということは知っていた。知っているつもりでいた。だけどオラクルはまだ25だ。人間は100年とまでは行かなくても80年は生きるのではないか? オラクルには55年も時間がある。
「違うんだよ、オラトリオ」
 辛そうな声で正信がオラトリオを遮った。
「違う。そんなに単純に人間はできていないんだ」
 ゆっくりと、何も知らないオラトリオにもわかるようにと正信は説明した。どうにかそれを理解した時、オラトリオは動けなくなった。
「そんな、じゃあ、明日オラクルが居なくなるってこともありえるのか?」
「そうだよ」
「でも、後100年生きるってこともあるんだろう?」
「……………99%無理だけど、確かにそういう可能性もある」
 1%の奇跡が起きたとしたって、それでもいつかはオラクルはオラトリオを置いていく。
「そんなのは嫌だっ!」
 気がつけば叫んでいた。
「オラクルだって嫌だって言うに決まってる。正信! どうにかならねーのかよ。なあ、あんた、科学者なんだろ? 正信じゃなくても音井教授でもカシオペア博士でも、どうにかしないのか?」
 人間そっくりのロボットを作れる正信や音井教授たちならどうにかしてくれる、そう思ってオラトリオは叫んだ。
「あ、そうだ。オラクルもロボットにすればいいんだ。そうすれば人間みたいに死なない。もう病気にもならない。ロボットの体にオラクルを移しちゃえばいいだろう?」
 人には臓器移植というものがある。ぼろぼろのオラクルの身体は今更1つや2つ変えても無駄なことかもしれない。だから、体ごと変えるのだ。それも人間の体だと、またすぐ悪くなるかもしれないから、機械の身体に。義手や義足のように機械の手足をつける技術も人間にはある。それがちょっと大掛かりになるだけのこと、オラトリオにはそう思えた。
「正信、オラクルをロボットにしようぜ? いいだろ?」
「そこまでしてオラクルが生きたがると思うのかい?」
 なのに正信は尋ねてくる。
「正信、オラクルはこのままだと死んでしまうんだろ? 機械の身体でも生きれたらいいじゃないか」
 必死に言うロボットを正信は哀しい目で見た。人でない歪な形になって生きる生をオラクルは望むと、本当にこのロボットは思っているのだろうか。だが、オラトリオはどう見てもそれを信じきっていた。
「オラトリオ――」
 空気を裂くように冷たく正信が叫んだ。
「そんなのは不自然だ。倫理に反している。寿命は寿命のままでいいんだ。それが自然なんだ……」
 悲痛な正信の言葉にオラトリオは口を閉じた。彼らもきっと考えたのだ。自分よりも長くオラクルの側にいる彼らはきっとずっと辛かった。
「………オラクルは後何年生きられるんだ?」
「3年、生きられたらいい方だろう。それまでに何か劇的に症状がよくならない限りでは」
「それでもオラクルをロボットにしちゃいけないっていうのかよ」
 助かる方法があるというのに? オラトリオには信じられない。正信は自嘲の笑みを浮かべた。
「倫理に反せようがなんだろうが、いいと思ったこともあるさ。だけどさっきも言ったが、オラクルがそれを望むと思うのか?」
 言われれば言葉もない。不運も何もかもその身に受け入れ消化している。多くを望まずそのままの自分に満足して。そんなオラクルが人の姿を捨てた生を望むだろうか。
 どころか、弱い身体に苦しめられ続けたオラクルに、死は解放と映ってはいないだろうか。
「オラクルはわかってないだけなんだ」
「……………」
 強がるようなオラトリオを正信は気の毒そうな顔で見た。
「だってそうだろ? オラクルは25で、そんな年で死にたいなんて思うわけない」
「思ってなくても我慢するよ、あの子は。自分の運命全部を受け入れてね」
「…………………」
 絶句するオラトリオに正信は切なそうに笑った。正信も諦め、受け入れているのだ。オラクルを失うという運命を。
 それが人間というものなのか、オラクルや正信が潔いだけなのかオラトリオにはわからない。わかるのは――。
「俺は人間じゃない、ロボットだ。オラクルを護る為に存在するロボットに過ぎない。だから、倫理も何も関係ない!」
 正信が諦めようがそんなこと関係ない。怒鳴るように言って部屋から出て行くオラトリオを正信は複雑な心境で見送った。
 人間にはどうしても越えられない倫理の壁。ロボットのオラトリオには破ることができるのだろうか。
「何を煽ってるんだ、正信」
 いつから居たのか、いつから聞いていたのかラヴェンダーが声をかけた。
「あー、そう見えるかい?」
 困ったように言う正信にラヴェンダーは肩を竦めてみせた。
「私はできたての愚弟とは違う。多少は人間の感情の機微にも通じているからな」
「ははははは」
 普段そういったものをなぎ倒しているとしか思えないラヴェンダーの言葉に正信は苦笑した。
「別に煽っていたつもりはないよ。ただの賭けで、悪あがきなんだけどね」
 呟くように言う。人間をロボットにする。そんな恐ろしいこと人間には考えることもできない。ましてや本当に実行することなど絶対にできない。だが、弟のように思ってきたオラクルは愛しくて失いたくない。
「それでも諦めていたよ、僕はさっきまで」
 だが、オラトリオがいた。諦めることができない、人間の倫理にも縛られないロボットが。ロボット工学について今は素人のオラトリオが、本当にオラクルのボディとなるロボットを作ることができるのか。できたとしてもうまくそれにオラクルを『移植』できるかどうか。何よりそれはオラクルの死に間に合うのか? 倫理に縛られる自分には手伝うことも助言することもできないだろう。
 だから、賭けで、悪あがき。
「オラクルの意思は気にしないのだな」
 不思議そうにラヴェンダーが言う。さっきまで『オラクルは望まない』と連呼していた正信だったというのに、今はそのことについては何も言わない。
「本人の意思無視しても、それでも失いたくないって人はいるでしょう」
 まあオラクルには柔軟なところがあるから、聞かれれば断っても実際にそうなってしまえば怒りはしまい。
「楽観的だな」
 ラヴェンダーは肩を竦めた。正信は何も考えていないような顔でうなずいた。
「とにかく僕はこの件は忘れる。ラヴェンダー、君も……」
「消去しよう。覚えていなければオラトリオを止める理由はない」
「………ありがとう」
 礼を言われる筋合いはない、そう言ってラヴェンダーも出て行った。残された正信はオラトリオとラヴェンダーが出て行ったドアをじっと見つめた。
 律儀な彼女はきっとすぐにでも自分の記憶処理をする。だから、
「自己暗示でもなんでもいい。僕も忘れよう」
 人間だからこそ正信の気持ちは矛盾に満ちている。今はオラトリオを応援したいと思う。オラクルが助かればいいと思う。だが、オラトリオと話していた時に、絶対許されない行為だと思っていたことも確かで。
「忘れないと僕は止めようとしてしまう」
 『オラクル』をロボットに移植する。考えるだけでもそれはきっとおぞましい。あんな心の綺麗な子を無理矢理この地上にとどめてどうするという気持ちは捨てきれない。でも、どんな姿になっていても生きていて欲しいと思うのも真実の気持ちで。
「僕には――人間にはこの矛盾は耐えられない」






 矛盾のないオラトリオはただ1つの道だけを進む。
「絶対に死なせやしない。絶対に失ったりしない」
 それは妄執に過ぎないのかもしれないけれど。
「オラクル」
 絶対に。