Recollection


1.幻夢――壁の内の孤独

 ……違う! 自分のせいじゃない!
 言葉は喉の奥に封じられる。
 自分が発火能力で同級の幼稚園児に火傷を負わせたことを知った周囲の人々は、それを『化物』と称した。
 無理からぬところではある。普通の人間に、こんな能力は備わっていないのだから。……けれど。
 集団ヒステリーを起こして声高に叫ぶ住民たちに屋敷を取り巻かれ、外出もままならぬまま、幾日も自宅に閉じ込められた、自分と……家族。いかなる理由でか、この日はマスメディア関係者が来ていなかったのがせめてもの救いだったかもしれない。
 皮肉なものだ。こんな事態にでもならなくては、息子が親の――血縁者の揃った顔を見ることがなかったなど。それは、当然あるべき心暖まる情愛とは確実に無縁のものだったが。
 外圧に対する恐れと、確かに血を分けたはずの子供に対する怯え……微妙に融合した二つの恐怖が、周りにいる者たちの表情に宿っている。
 その証拠に、わずか五歳に過ぎない子供がゆっくりと親に双眸を向けるだけで、明らかに彼らは一歩ならず身を引き、びくりとするのだ。機嫌を損ねさせたら彼らが焼死体にさせられかねない、とでも言わんばかりである。……そんなこと、するはずがないのに。
 自分を直視しないようにちらちらと返される視線には、おそらくは家の外にいる人々と同種の、恐怖と排除、嫌悪の色が混じっていた。
 大丈夫だ、何があっても守ってやるから。……欲した、そんな言葉はついに与えられなかった。
 屋内と屋外、両方から受ける疎外に、自分は必死に耐えるよりなかったのだ――。




2.現(うつつ)の島――城の情景

「キィキイ?」
「キュイッ(とっくに朝過ぎてまっとるぎゃ。起きよみゃあ)」
 二匹のコウモリは、左右から輪唱のように彼らの『友達』を起こしにかかった。勿論、テヅカくんと、今はすっかりこの形態に馴染んでしまった『ウィローちゃん』、そして起こされているのはアラシヤマである。ウィローの、名古屋弁交じりの怪しいコウモリ語も健在だ。
 滅多にありえぬ事態が、今ここでは起こっていた。
 いつもなら、その日最初の瞬間の朝日が島に射すのと前後して、アラシヤマは目を覚ます。そして、夜の散歩から帰ってきたテヅカくんとウィローが一休みしている間に、彼らが時折持ち帰ってくる果実も取り入れて、アラシヤマが朝食準備を済ませるのが、一人と二匹の共同生活の日常だった。
 ところがこの朝、彼は、普段の朝食時間になっても、更に待っても、まだ眠ったままだったのだ。ついぞなかったことである。
 ひとしきり呼びかけて、二匹はアラシヤマの顔を覗き込んだ。
 煩わしげにほんの微かに顔をしかめてはいたものの、それでも青年は起き出す様子はない。
「………」
 いい加減二匹は飢えていた。アラシヤマが目を覚ましてくれなければ、朝食を摂ることができないのだから。
 別に、自分たちだけ果実園でも何でも行って腹をくちくすればいいようなものだが、その辺りの融通は、二匹にとっては最初から可能性外だった。友達みんなで楽しく食べる、のが、彼らの信条なのである。
 もっとも、ここで、ホトトギスを殺すか鳴かすか鳴くまで待つか……その性格の違いが行動に表れるのは仕方のないところかもしれなかった。
「キイ! キイィー!(ちゃっと起きやあ、て言っとるがね!)」
 困ったように見つめているテヅカくんとは対照的に、空腹で機嫌が悪くなっているらしいウィローは、青年の頬をぺちぺちと叩いた。
 これで起きなければ、付近に置かれている水瓶の中身を存分にぶちまけるつもりだ。間違いなく彼は、どんな手を使ってでもホトトギスをさえずらせてみせるタイプであった。
「――」
 水難を察知してかどうかは知らないが、そこでようやく、アラシヤマは身じろぎした。薄く目を開ける。
「♪♪」
 コウモリたちの顔に喜色がよぎった。なかなか起きなかった青年が目を覚ましたこととこれで食事にありつけることの、それは双方の故であること疑いない。
「あ……れ……もう朝なん……か?」
 埒もないことを口の中でひとりごちながら、両側に位置する友達を同じだけの比率で見る。アラシヤマはのろのろと身を起こした。
「……つ……」
 痛むのか、彼は一瞬頭を支えるように押さえ、それから強引に振った。
 入口に差し込む陽の光が、普段の生活リズムによる時刻を遥かに超過していることを主張している。朝というより、昼に近い。
「ああ……寝坊してしもたんどすな……」
 まだ輪郭のはっきりしない声音で呟いて、つい、と立ち上がる。糸で引かれているかのようにウィローとテヅカくんは羽根を広げて宙に浮かび上がった。
「えろうすんまへん。今、朝食の支度……しますよって……」
 言いながら、思い足取りでほら穴の外へ歩き出しかけたアラシヤマは、三歩も行かないうちに、急にふらついて前のめりになった。
「――っ!」
 がくりと膝をつく。
「キイッ!?」
「キュピッ!(アラシヤマさん、どうしやあたの)」
 テヅカくんとウィローは慌てて飛び寄った。
「大丈夫……どすわ。何ともあらへん……」
 幾分かすれた声で、青年は囁いた。
 説得力という名称の、言語の一形態をなすものは、この時希少金属並みの含有率しか所持し得ていない。これで安心させられる方がおかしかった。
 それでも何とか納得させようと、
「ちいとつまずいてもうた……だけ……」
 膝と共についた手に力をかけて離し、囁きを重ねながら、彼は再度立とうとした。
「……なんやから……別、に――」
 明度を喪失した視界が、アラシヤマの主観の中で、修正できずに何十度分か傾ぐ。
「……ぁ……」
 心配を体表面全てに張りつかせた二匹のコウモリの視線が交差する、その焦点で、今度こそ彼は地面に倒れ込んでいた。
「――キュイ!!」
 もはや悲鳴に近い、鳴き声。
 ウィローは地面に降り立ち、苦しげな息遣いをしているアラシヤマの額に、そっと前足を当てた。本来は明らかにコウモリより低い体温のはずの青年から、尋常でない熱さが伝わってくる。
 一つの仮定が、心を掠め過ぎた。
 ……今、自分が人間だったなら……?
 そうしたら、その場で薬を作り、看病することができる。資格こそ所持していないが、医者の従兄弟分くらいの診察も可能だ。……もし元の姿に戻れば――ウィローはそう考えかけ、しかしすぐに、それを頭の中のがらくた箱に放り込んだ。
 不可能ではない、けれど……。それは自ら捨て去ったはずだったから。
 何にせよ、自分たちではどうにもできない。とにかく誰か――そう、ヒトを呼んでくることが必要だ。
 その結論で二匹は同意をみた。
 引きずって寝床まで連れていくわけにもいかないので、とりあえずの処置として、ブランケットを運んできてアラシヤマに掛ける。
 そして、二匹は互いの手――前足――を取り合って外へ飛んでいった。



3.幻夢――魔王出現

 ……自分を化物として謗る人々の声は、一秒ごとに質量を増していた。
 そのうち、家に火でもつけられるかもしれない。
 まるきり中世の魔女狩りだな、とふと思い――
 ……いや、違う。思っているのは現実を再構成した自分か。今までのほぼ全ての思考と表現は、長じた己が組み直した意識だ。
 そうだ、本物のこの時の自分は、何も判らなかった。罪悪感を持たず、なのに責められ、誰もこちら側の席に立つ者のないまま、孤独と突き立てられる悪意におののいていた。
 全てをさらけ出し、投げ出して庇護を求めようとする幼い心の一方で、自分は何も悪くない――と、幼稚で偏狭な自我が現状に屈服することを拒んでいて……。
 その時、前触れもなく屋外からの圧迫感が消滅した。強大な『力』の気配と引き換えに。
 確かに閉ざされていたはずの扉の錠鍵がカチャリと僅かな音をたてて外され、突然一人の男性が現れる。
 整えられた金の髪と冷徹な青い目。今ならば判る、鍛え抜かれた鋼のごとき性質の長身。感情を廃した低く響く声を所有する、存在するだけで威圧感を与えずにおかない、……そう、魔王、が複数の悪魔を伴って、そこにいたのだ――。


<<<BACK  NEXT>>>

page select:INDEX1−34−6

取説NovelTOP