<1>
「シンタロー」
と、マジックは息子を呼んだ。いつもはあくまで『シーンーちゃん♪』のノリで呼ばれることが多いだけに、少々訝しく思いつつ、シンタローは父親に目を向けた。
「何?」
「今度の出征のことだが……」
「あぁ……D国辺境部でもめてるやつ? 親父が行って完璧にカタを付けてくる、って」
そのような話を聞かされていたので、シンタローは確認するように訊ねた。マジックが頷く。
「そうだ。それにおまえも同行してもらおうと思ってな」
一瞬、シンタローは言葉の意味を把握しかねそうになる。理解できたのは一呼吸後だった。
「俺が!?」
思わず大声を出してしまう。
「でも、俺、実戦なんてやったことねぇぜ!?」
「だから、だ。おまえももう十八……そろそろ演習ではなく実戦に参加してもいい頃だろう」
それは実際シンタロー自身も考えていたことではあった。近いうちに戦場に出ることになるだろうとは思っていたのだが、まさかいきなり次の出征が初陣とは。
……心の準備も何もあったものじゃねえよなー。
小さく呟く。もっとも、一々、そんなものができるまで戦闘がストップしてくれるわけでないのは、シンタローとて知っている。
「これまで得てきたものがどの程度役立つか――いい機会だ、試してみろ。但し……」
マジックが口元だけで笑う。
「言っておくが、おまえの意志にかかわらず『マジックの息子』の名は重いぞ。不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……判っているな?」
息子を見つめる、冷徹な瞳。シンタローはゆっくりと首肯した。
「ああ……判ってる……」
シンタローは、『ガンマ団総帥』を見つめ、敬礼した。もしかしたらこれが、彼がマジックを、父としてというより、自分の上に立つ絶対者、支配者としての視点で見るようになった最初だったかもしれない。
「……承知しました。任務を拝命いたします。御期待を裏切らぬよう、非能非才の身の全力を挙げて遂行する所存であります。――総帥」
瓦礫の山の中に、マジックたちは立っていた。
彼らの周囲では、敵兵が折り重なり、あるいは瓦礫の下敷きとなり、斃れている。
半分はシンタロー一人の手によるものだった。
「ブラボー! シンちゃん」
マジックが拍手してみせる。
「………」
シンタローは半ば呆然としていた。一種の虐殺を行った自分を誉められたことに対する、反発反応すら、起こるレベルではない。
自分が、奪った生命。
これだけの人間の死。
これが、戦いというものなのだろうか。人に殺される人と、人を殺す人――それを見せつけられて、シンタローは言葉を失っていた。彼がそれまで知っていたのは、知識としての死。……これが、現実だった。
人殺しのスペシャリストが己れの職業――その意味に、改めて思い到る。人間が人間を殺すとは、こういうことなのだ……。
それだけの力を自分が持っていることを感覚的に思い知って、シンタローは頭をおもいきり殴られたようなショックを隠しきれなかった。
実際に軍籍に在る者として、または殺し屋として、この先幾度も合法的な殺人、非合法な殺人を犯すようになったらどうなるのだろう。
シンタローは頭の隅で考えた。それとも、その時にはもう感覚が麻痺してしまって、人殺しを何とも思わなくなってしまうのだろうか。
そう、ここで、いつも大量殺人を犯しているにもかかわらず平然としている、そしていつも他人に人殺しを命じている、この父のように……。
「どうした、怖くなったか。そんなことでは名前負けだぞ、シンタロー」
挑発するようなマジックの言葉に、だがシンタローは反論を返さない。
「事後処理は任せる」
マジックは駐屯部隊の長に声を投げた。
「……基地に戻るぞ」
つまらなそうにマジックは身を返した。直属の部下がそれにつき随う。シンタローは頭を振って思いを断ち切り、後を追った。
「戦い甲斐のない……」
マジックは吐き捨てた。
「これなら私が出るまでもなかったか……。うちの軍をてこずらせたくらいだ、もう少し愉しませてくれるかと期待したんだが」
彼にとって戦いは、人殺しとは、娯楽にすぎないのだろうか――。
マジックは息子に視線を向けた。黙り込んだまま一歩後ろをシンタローはついてくる。
「どうしたんだい、シンちゃん」
急にマジックは声のトーンを引き上げ、シンタローに話しかけた。
「浮かない顔だね。せーっかくシンちゃんの武勲を、パパ、誉めてあげたのに。シンちゃんってば喜んでくれない……しくしく、パパ泣いちゃうよ」
「……っ!!」
シンタローは声を詰まらせた。握った拳に力が籠もる。なぜ、たった今大量虐殺を見た、行なったばかりで、こんなにヘラヘラとおちゃらけていられるのか。
憤りが、シンタローの全身を瞬時に駆け巡る。彼は上目遣いに――マジックとの身長差のゆえだ――父をキッと睨みつけた。
マジックは薄く笑みを刷いた。
そうだ……シンタローはこれでいい。このままでいい。自分に対する反発こそが、シンタローを勁くする。
自分を反面教師にすることで、シンタローが、己れの手を朱に染めることの意味と重みを自覚できてくれればいいのだ。真の勁さを彼は手中にしようとしている――。
「それにしても……」
再び元の絞った声音に戻り、マジックは独語した。
「あっけなさすぎるな」
現場からいくらも行かないところで、マジックは足を止めた。
「総帥?」
部下の呼びかけ。マジックは面白くもなさそうな表情で辺りに視線を投げた。
「待ち伏せされた、か」
マジックは呟いた。……え? という顔で、傍らのシンタローが父を見上げる。
「動かないほうがいいぞ、シンタロー」
それに呼応するかのように、周囲から敵軍の兵たちが現れた。向けられた火器は完全に一行を捉えていた。もっとも、下手に逃げ出そうとしない限り、すぐに発砲するつもりはないようだ。
「やはりな……」
マジックの、己れの部下を見据える双眸が冷たい厳しさを増す。
「……何故監視を怠った!! 動向を正確に探るのが役目だろうッ!」
叱責された方は、萎縮し、身をこわばらせている。マジックは鼻白み、自嘲に近い嗤いを覗かせた。
ここまで気付かなかった自分も同じか……。
マジックは敵の士官に目を向けた。
「我々をどうするつもりだ? 捕虜か、あるいは――」
「決まっている! 皆殺しだっっ!! だが、簡単には殺さん!」
マジックを除く一行に緊張感がはしる。
……この地にマジックがシンタローを連れてきたのは、彼がとことん息子を甘やかしていたからだった。
マジック自らが出向く、しかも比較的容易な任務。さして手に余ることもなく、更に常に、何かあればシンタローをフォローする態勢をとることもできる。それを、息子の初仕事として選んだのだ。シンタローに対するマジックの偏愛ぶりは、それを受ける本人以外の全員が正しく理解するところだった。
ゆえに、このような思いをシンタローにさせるつもりはマジックには毛頭なかったのだが……。
だがしかし、こうなった以上は、それにシンタローがどこまで対処できるか、耐えられるのか、マジックは見極めることにしていた。初陣での予定外の偶発事とはいえ、これで潰れてしまうようなら、後々役には立たない。
シンタローには将来ガンマ団総帥の座を譲り渡すつもりなのだ。であれば、それにふさわしい資質の片鱗を見せてもらわねばならない。無能者は必要ないのだ。
父親としての想いの他に、恐ろしいほど冷酷な思考を働かせる、背反部分がマジックの裡には存在していたのだった。
「なるほど……」
マジックは、そっと背後の息子を伺い見た。
蒼ざめ、怯えた顔――。
それは、そうだろう。初陣でこのような目に遭って豪胆でいられたら、逆に神経を疑ってしまう。
……もう充分かもしれない。少なくとも彼の息子は、さっさと両手を挙げて敵の前に出てゆき、命乞いするような真似はしなかったのだ。たとえそれが、虚勢に根ざすものでも……。
死角は――ある?
マジックは手を伸ばし、シンタローの頭を抱き寄せた。くしゃりと、一族の誰とも違う黒髪が指にわずかにからまりつく。
「動くなッッ!!」
ダゥンッ……!
威嚇のつもりか、マジックの手前をめがけて発砲が起こる。足元の土と小石が跳ね上げられ、舞い飛んだ。
周囲の、息を呑む気配。
「ふん」
敵も味方も一種の興奮状態にある中、マジックはただ一人平然と、無感動に現状を眺めやっていた。
それから、抱き寄せたシンタローの耳元で、ごく低くささやく。
「いいか、シンタロー……東南東、左後方約三十度――死角だ」
「え……?」
「一人なら抜けられる。……逃げろ!」
「……親父――?」
恐怖と驚愕が入り交じった顔で、シンタローは父親を仰ぎ見た。
「けどっ!」
「大丈夫だ――」
「何を喋っている!」
キン、と、再び地面がはぜる。
マジックは軽く舌打ちした。長話ししていては分が悪くなる。
「私は平気だ。……ここでむざむざ死ぬような、悪いことは、パパはしたことないよ、シンちゃん♪」
この状態で、ちゃかした口調をつくれる豪胆さは賞賛に値するものだろう。薄紙一枚の差の、きわどいものではあったが。
ぎりぎりの状態で、けれど、せめて息子だけでも逃がそうとする――そんな親子愛に見えたかもしれない。確かにその意味も持ち合わせていた。しかしマジックが真に考えていたのは、もっと私的なことだった。
ここで自分の『力』を解放すれば、あっさりけりがつく。だがマジックは、シンタローに化け物じみた自分の姿を見せたくなかった。
……眼魔砲は、シンタローにもできる技だ、幾分セーブしたなら使ってもいいだろう。問題はそれより上に位置する能力だ。
秘石を使うどころか、秘石眼すら、マジックはシンタローにはその本質を明らかにしたことがなかった。そして当分、する気もなかったのだ。
シンタローは動こうとしない。
マジックは息子の髪をなぶった。別の表現が必要らしい。
「……これはテストだ。この状態から逃げおおせることもできないようでは、ガンマ団にとって必要な人材とは言えん。役立たずが!」
「な……ッ!!」
シンタローの顔色が変わる。この期に及んでそんなことを言われるとは思わなかったのだ。
「不要と言われたくなければ成功してみせろ」
言い置いて、マジックは敵の様子をはかった。敵の隙と死角……より完全なものにするためには?
タイミングは――
わざと、マジックは一歩進み出た。敵兵の狙いが一瞬彼一人に集まった、その瞬間、
「――行けっ!!」
マジックはシンタローを突き飛ばした。
ザッ……!
もはや思考とは別のところで、シンタローは地を蹴った。大きな岩が盾になる。
「何っ!?」
敵の反応は遅れた。
目標を定め損ねて、砲口が揺らぐ。動くものに対して目が行くのは人の常だ。
マジックが力を集中させるには、それで充分だった。あとは味方側に被害が及ばないよう、引き絞るだけだ。
ダダダダッッ……
岩の間をすり抜けてゆくシンタローに、一斉砲火が浴びせられる。だが、逃げる方向が方向だ、どれ一つ彼をかすりもしない。
「へんっ、当たるかよッ!」
強大な殺戮と破壊の予感。
――バゥッ!
反対方向で起こる小さな爆発……
岩陰に飛び込みかけて、シンタローはふと後ろを振り仰いだ。
「――!?」
意図的に小規模の眼魔砲を放ち、注意を更に自分の方に向けようとしたのだろう、完全に息子をかばう位置に移動したマジックが、構えをとって立っていた。
防ぎきれるわけがない。
マジックに向けられる銃口――。
「親父!」
シンタローは盾となる岩の陰から飛び出していた。無意識の、反射にも似た行動だった。
引金に掛かった指に力が加わる。
膨れあがる、圧倒的な力のオーラ。終末の光景。
「親……っ。父さん!!」
「何をしているッ!」
巻き起こる風が髪を逆立てる。
「……よせ! 来るな! シンタロー!!」
「……っ!!」
――ドゥッッ!!
耳をつんざく音。土埃に遮られる視界。激しい爆風にあおられる。
コマ送りのフィルムのように途切れとぎれの情景。
破裂する空間の中心にシンタローはいた。
閃光で目が眩む。圧力に近い衝撃。
「――父さんっ!!!……」
……叫びは、爆発音にかき消された。
「……シンタロ――――ッツッ!!!」
加速度的に意識が遠のく。
完全に意識を手放す瞬間、瞳に映る閃光のはざまで、マジックの両眼が哀しげに青く光るのを、シンタローは見たような気がした――。
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