<2>


 あれ……? 俺、どうしたんだ?
 シンタローは、ゆっくりと辺りを見回した。
 死んじまった……のかな、俺……。ここは……ガンマ団本部?
 彼は横たわり、一室の天井を瞳に映していた。
 調度品は違うが、どことなく見覚えのある部屋。……そうだ、ここは総帥室の隣にしつらえられた別室だ。何故こんなところに自分はいるのだろう。
 起き上がろうと、シンタローは身じろぎした。途端、ひょいと宙に浮く感覚。自分を覗き込んでいるのは――。
 ……親父っ!?
「起きちゃったかい、シンちゃん」
 シンタローはマジックに抱き上げられていた。有り得べからざる状況だった。
「あ……う……」
「んー? 何かな? パパがどうかしたかい?」
 シンタローに向かって笑いかけるその顔は、たしかにマジック自身だったが、彼の知る父より、確実に二十歳近くは若い。声の質もそれ相応に、まだ青年の域を出ていなかった。
 そこでシンタローは初めて気付いた。自分が乳児になっていることに。これなら軽く抱けるはずだ。
 ここは過去の世界なのだろうか。それともただの幻影にすぎないのか……。
「兄さん……」
 低く、押し殺したような呼び声。赤ん坊のシンタローを抱いたマジックはそちらに向き直った。必然的にシンタローの視界も方向を変えることになる。
「何だ、サービス、まだ言い足りないのか」
 おじさん? ほんとに若い……
 マジックと対峙するように、弟であるサービスが立っていた。現実のシンタローとちょうど同年代だ。
 サービスは、思い詰めたようにも見える表情でマジックを見返していた。
「本気、なんですか、兄さん」
 その問いに、ほんのわずかだけ、自分を抱く父の手に力が籠められたのをシンタローは感じた。
「本気で、シンタローを――」
「愚問だぞ、サービス」
 マジックは、まっすぐに、齢の離れた弟を見据えた。
「シンタローは私の息子だ。それを後継ぎに決めて何が悪い?」
「ぼくが言っているのはっ――!」
 サービスが声を詰まらせる。彼の声にならない言葉を、兄は奪い取った。
「シンタローが秘石眼を持たないからか? この子では一族の後継者は務まらない、と言いたいのか」
 マジックは唇の片端だけ上げて嗤った。
「『おまえが』そう言うのか?」
「………!」
 他人の神経を逆撫ですることにかけては、右に出るものはなかろうと思われるほどの、棘を含んだ口調だった。
「嫉妬か? 望んでも得られぬ地位をあっさりこの子が攫うことへの? それとも普通の瞳で生まれてきた、そのこと自体に?」
「そうじゃない! ぼくの言いたいのは……そんなことなんかじゃ……っ」
 何度もサービスは首を振る。年齢不相応の苦悩の翳がたゆたっていた。
 数瞬の、沈黙が支配する時間。
「……シンタローが、可哀相だ」
 ぽつりと、サービスは呟いた。マジックがかすかにぴくりとしたのが、シンタローに伝わる。
「可哀相すぎるよ……。こんなのは、兄さんのエゴじゃないか」
 目線だけ動かして、シンタローは父と叔父を見比べた。
「別にぼくは後継者になりたくなんてない……なれるはずもないし、なる気もありません。だから、そんなつもりで、シンタローを後継ぎに定めることについて異論を呈しているわけじゃないんです」
 震えているようにも聞こえる、抑えた声が、室内を回遊する。
「……シンタローは秘石眼じゃない。それはそのまま、一族の中の立場として、異端者になることを意味します。ただでさえあなたの、『マジックの息子』という枷が、この子にはついて回るのに」
 ……ぼくが、『マジックの弟』の名を重く感じているように。
 声に出さなかった思いを、けれど聞き取ることは容易だった。
「……増して、一族の後継者として彼を立てるなんてことになったら、余計にシンタローは――」
 サービスは哀しげな瞳で兄を捉えた。
「シンタローはおそらく、破滅に向かう一族の運命を内から変えることができる、ただ一人の存在でしょう。袋小路に入り込んだ我々一族にとって、もはや必要不可欠な……。それなのに、わざわざ彼を潰そうとしているとしか、ぼくには思えない。……最後まで耐えきれればいい、でもそうでなかったら……」
「もういい、サービス」
 マジックは弟の心情の吐露を押しとどめようとした。サービスの声は反して次第に高くなってゆく。
「―シンタローに三重苦を背負わせるつもりなんですか……? 勝手に押しつけて、それを敢えて推し進めようなんて、そんな……そんなのはただの、あなたのエゴイズムだ!」
「……たいした言い種だな。既に決めたことだ、おまえに言う資格はない!」
「いつだってそうじゃないか! それとも、やっぱり兄さんはジャンの――っ!!」
「――サービス!!」
 マジックは一喝した。はっとサービスが息を呑む。その場の空気が凍結していた。
「申し訳ありません……。失礼します」
 サービスは一礼すると、足早に部屋を出ていった。
 ……おじさん……親父っ!?
 シンタローは、必死に父の衣服を掴み、叫んだ。しかし、発することができたのは、意味を為さない喃語でしかあり得なかった。四肢の感覚すら、まるで自分のものではないようだ。
「あぅ……だぁ……」
「シンタロー……?」
 腕の中の我が子に、マジックは視線を落とした。心持ち、瞳によぎる色合いが暗い。
「すまない。嫌な問答を聞かせてしまったな。……といってもまだおまえには判らないか」
 あやすように、息子をマジックは揺らした。
「私のエゴ、か――。そうなのかもしれない。秘石眼ではないおまえにとって、確かにこれは酷だろう。……嫌われることは覚悟の上だが、それでは足らず、もしかしたら、恨み、憎まれすらするかもしれんな……」
 マジックはふと微笑んだ。優しく、穏やかに。彼らしくないほどに。
「それでもね、シンタロー……」
 悲しいほどの静けさを湛えた、それは、呟くような口調だった。
「私はおまえが可愛くてしょうがないんだよ」
 シンタローは大きく目を見開き、自分を抱くマジックを凝視した。そこにいるのは、一人の父親だった。
「どんなに憎まれても、たとえ一族の異端者でも、私は、おまえが……シンタロー―」
 父さん……。そう心の中で呼びさす。
 その時、不意にシンタローは、ぐいっとひっぱられるような感覚をおぼえた。
 ……何だ? 何が起こったんだ!?
 視界が霞み、頭がぼやけてくる。薄れる意識の中、シンタローは最初の疑問の答えに辿り着いていた。
 あぁ、そうか、これは幻なんかじゃねえ。俺の記憶だ……ずっと、はるか昔の……。
 それだけ考え、シンタローは引力に身を委ねた――。


「う……」
 シンタローは薄く目を開けた。映るのは、天井。
「気が付いたようだね」
 すっと、人影が脇で動く。
 体がひどく重苦しい。シンタローはのろのろと頭を巡らした。その途端締めつけられるような頭痛に、彼は顔をしかめた。
「ドク……ター……?」
 ドクター高松がシンタローの傍に立っていた。
 ここは医務室なのだろうか。高松がいるところを見ると、前線の駐屯基地だ。でも、どうやって?
「俺……」
 喋ることさえ億劫だ。呼吸するたび、胸郭が情けない悲鳴をあげる。
「ああ……そのまま動かないで、シンタローくん」
 高松はシンタローの額に手を置いた。
 昔は「シンタロー様」と様付け、そして敬語で話していた高松だったが、特別扱いされたくないと強く言い張るシンタロー自身の要望で、二年ほど前からは、極力、口調を修正している。今もその例に違わなかった。
「君は三日近く昏睡状態だったんだよ。話は聞いたが……あれだけの力をまともに受けて、その程度のダメージで済んだだけでも奇蹟なんだからね」
 あれだけの、力?
 その言葉に、突然光景が蘇る。……あの、大爆発。
「取り敢えず診察を――」
「………! そうだ、親父っ! 親父は!?」
 シンタローは痛みも忘れて、すがるように高松に問うた。訊かれた方は、わずかに驚きを混ぜた表情で発言者を見返した。
 高松が返答するより早く、
「私ならここにいる」
 反対側から声が割り込む。シンタローは、はっとしてそちらを向いた。鉄の破片を突きさされているかのような頭の痛み。
 腕組みしたマジックが、シンタローの横たわるベッドの傍らにいた。擦過傷一つ負っている様子はない。
「親父……」
 そうか、無事だったんだ……。
 半ば麻痺している舌の感覚がもどかしい。
「シンタロー」
 マジックは呼びかけた。そこに含まれるのは、暖かさではなく、氷のような冷たさだった。
「何故、戻ってきた?」
「え……」
「逃げろ、と私は言わなかったか? どうして、あのまま行かなかった」
 シンタローは困惑して父を見やった。マジックの声が冷淡さを増す。
「そのせいで、シナリオは台無しだ。結果的に何事もなかったからよかったようなものの、自分のしたことがどれほど他人の障害になったか、おまえは判っているのか!」
「俺は……ただ、親父が……っ」
 苦しい呼吸をおして話そうとする息子を、マジックはあざけるような双眸で切り刻んだ。
「私が心配だった、とでも言うのか? ふん、あれしきのことで、この私がやられるわけがなかろう。おまえはただ私の言うとおりにしていればいいんだ! それを、上面だけの独断で先走って、その挙句がこれか。不様だな、シンタロー!!」
「な……っん……!」
 かっとなってシンタローは跳ね起きた。途端に、全身を貫く激痛に、彼は身体を折った。一瞬気が遠くなり、けれど、同じもののせいで現実に引き戻されるほどの、激しい痛みと苦しさ。
「……ぐっ……」
「シンタローくん!」
 それまで、心配げな目で、しかし立ち入ることのできぬものとして父子の会話を静観していた高松が、手を伸ばす。……限界だ。
「駄目だ! まだ起きられるわけないだろう」
 肩を抱くようにして、高松は己れの患者を再び横たわらせた。シンタローは眉を寄せ、喘ぐような、時折止まりかねない不規則な呼吸を洩らしている。
 マジックの放った力の中心点に飛び込んできて、これだけの怪我どころか、生きていられることの方が不思議なのだ。シンタローにその自覚があるかどうかは甚だ不明瞭なものだったが……。
「ク……ソ親父っ!」
 枕に頭を押しつけ、絞りだすような声でシンタローは罵った。マジックは、無感動に我が子を眺め下ろす。
「いいざまだな……自業自得だ。最初に念を押したはずだな、不様な姿をさらすような真似をしたら、その時は……と。おまえには失望させられたぞ。少しはものの役に立つかと思えばこれだ」
 マジックは語気を強めた。
「それでも私の息子か! このマジックの名をけがしおって!!」
「――ッ!」
 シンタローは、言い返す言葉を見失って、ただ黙って耐えるよりなかった。マジックは興味を失ったように、ふいと横を向いた。
「……覚悟しておけ」
 言い残して、マジックはつかつかと場を歩み去った。対照的な静寂が、後に残された。


 マジックは壁にもたれ、吐息した。
 これでまた息子に憎まれるのは確実だろう。ねぎらいの言葉一つ与えない自分を、シンタローは恨むだろうか?
「……だとしても構わん……」
 彼は独語した。自分にはこんなやり方しかできないのだ。――それが、間違っていたとしても。
 自嘲の色が、マジックを淡く染めていた。


 マジックが医務室から去り、ようやくシンタローが、荒いながらも呼吸を元に戻したところで、高松は控えめに名前を口にした。
「シンタローくん……」
「………」
 シンタローは唇を噛み、小刻みに震えている。
「……えよ……」
「え――?」
「俺……できねぇ、よ……。親父、みたい、に――そんな、の……」
 高松は、毛布をかぶせなおす手を一瞬止めた。
 シンタローは泣いていた。涙を流しながら、呟きに近くひとりごちる。
「……お……れ、判ん……ねぇよ。何にも……全ぜっ……何で――っ」
 シンタローが言葉を詰まらせるのをみて、高松は再度呼びかけた。
「シンタロー様、いいことを教えてさしあげましょうか……」
 語調を改めて、ふわりと毛布を掛ける。
「完全に意識を失っていらっしゃいましたから、あなたは無論ご存じないことでしょうけれどね――」
 近くの椅子に、高松は浅く腰を下ろした。指を組み、膝に置く。
「あなたをここまで運んできたのは総帥です。あなたが眠っている間、ずっと付き添っていらしたんですよ。寝食も忘れて……とても心配なさって――」
 ぐったりとしたシンタローを抱えてここに飛び込んできた時の、マジックの顔を、高松は生涯忘れまい、と思う。彼の構成要素の第一であるはずのゆとりも何もかもかなぐり捨てた、すがりつくような……。
 それは、十七年前のあの日、ルーザーの起こした叛乱の中で、ほんの一瞬だけ見せたものと同じ種類に属していたかもしれない。決定的に違うのは、あの時彼は敗北者を赦さなかったということだ。
 魔王たるマジックにとって唯一の例外がシンタローなのだと、高松には判っていた。
『シンタローを救けてくれ! 私のせいだ……私が、誤ったから……っ!!』
 そう、マジックは言ったのだ。そして、それから先、どれだけ高松が司令部に戻るように促しても、マジックは息子の傍を離れようとしなかった。何度もその名前を繰り返しながら……。
「あの方はあなたのことを――」
「親父、が……?」
 本当にそうなのだろうか。あの父が?
「あなたはお父上がお嫌いですか?」
 高松の問いに、しばらくシンタローは答えなかった。
「……判らねえ……」
 ――違う。本当は、どんなにけなされても、蔑まれても、それでも自分は父が好きなのだ。多分、最後の最後のところで。
 胸が痛い。それは、怪我のせいだけではなくて……。
 ふとシンタローは夢でみた記憶を思い出した。
 赤ん坊の自分に語りかける、父の姿。きっとただ一つの望憶……。
「――診察は後回しにした方がよさそうですね。もう少し眠っていらっしゃい」
 高松は声をかけた。シンタローは微かに頷いて、目を閉じた。


「シンタロー、おまえはまだこれから、絶望を知らなければならない……。その時、おまえはどうする……?」
 マジックは再び呟いた。そこに、団員が駆けてくる。
「ああ、お捜ししておりました、総帥! 今回の報告書のことで……」
「判った。すぐに行く」
 マジックは首肯し、身を返した。父と息子の想いが、戦場で迷走し交錯する……。




 それでもね、シンタロー……私はおまえが可愛くてならないんだよ――。



<<<BACK

page select:pre

取説NovelTOP