<1>


「シンタロー! 飯はまだか?」
「だーっ。今作ってっだろッ! ちったあ我慢ってもんを覚えんかい!」
 シンタローは鍋の中身をかき混ぜながら、パプワに言い返した。
 パプワとチャッピーは食卓につき、シンタローの後ろ姿を眺めている。
「ったく、この欠食児童が」
 彼がパプワ島に流れ着き、南国少年の、お母さんだか妻だか使用人だか判らない立場に甘んじるようになって、はや一年半以上。
 口ではぶつくさ言いながらも、最近では結構楽しそうに家事をこなしているところを見ると、主夫の素質があるのらしい。
 シンタローは小皿に取ったスープの味をみた。
「ん、パーペキ♪」
 そこで浮かれる辺り、既に末期症状である。
「できたぜ、パプワ」
「わーい、飯メシーっ!」
 鍋を下ろし、食卓に置く。椀にそれをよそいながら、ふとシンタローは考えた。
 とはいえ、考え込んでいても、それでも手は止まらない。プロの域だ。やっぱりダンナに欲しいかもしれない。
 それにしても……今朝は変な夢をみちまったぜ。ガキの頃の思い出なんて。なぁーにが、おたんじょうびだよ。……って、あれ? 誕生日?
「……ちょっと待てよ……」
「どうした、シンタロー?」
「なァ、パプワ……今日って、何月何日だ?」
 なぜかシンタローはひくついている。それまで暦などないに等しかったこの島に、太陽暦を浸透させたのはシンタローだ。もっとも、何月であろうと、ここは常夏の楽園である。
「十二月十二日! それがどうかしたのか?」
 朝食をぱくつきながら、パプワはあっさり答えた。
「じゅうにがつじゅうに……」
 すーっと、シンタローの顔から血の気が引く。笑いが乾いていた。
「なーんか、すっごく嫌な予感……」
 人間、悪い予感に限ってやたら的中するものである。
 たらぁりと、冷汗が伝う。その時、
「ヤッホー、シンちゃん!」
「げっ!」
 どんがらがっしゃーん!
 シンタローはのけぞった。パプワハウスの窓から、マジックが手を振っている。いつものごとく潜水艦で来たのらしい。後ろに幾人もの団員を引き連れていた。
 世界最強とも言われる暗殺者組織、ガンマ団の総帥ともなれば、多忙という言葉では追い付かないほど忙しいはずだが、どうもマジックに限っては暇をもてあましているとしか、シンタローには思えない。
 これが自分の父親とは……。
「やっぱり来やがったか、クソ親父!!」
 カタン、と茶碗を置き、シンタローは立ち上がった。
「パプワ、そのまま飯食ってろ」
 シンタローは外に出、マジックと向かい合った。この父親でどうして自分のような息子ができたのか、いまひとつ謎だ。それがヨタでなく、真実、一族の謎と秘密である辺り、冗談になっていない。秘石が企む、裏の裏の事情は更に秘密だ。
「湧いて出るんじゃねえかと思ってたぜ」
「あれ? ひょっとしてシンちゃんてば、パパが来るのを待っててくれたのかな? 嬉しいよ」
「待ってねェよ、誰も! とっとと帰りやがれ!」
「相変わらず照れ屋さんだなぁ。何か他に言うことがあるんじゃないかと思って、足を運んであげたのに」
「な・ん・に・も・あ・り・ま・せ・んッッ!!」
 一音ごと、シンタローは区切って答えた。マジックの表情が、ふっとすり変わる。
「ふ〜ん、そう……」
 ビシュッ!
 呟きざま繰り出されたマジックの拳は空を切った。
「やるな……」
 一歩下がった位置で、シンタローは父親を見据えていた。その瞳が、むしろ娯しげにきらめいている。
「ふん! てめーの考えなんざお見通しだぜ!!」
「なるほど……では、こうしよう。おまえが逃げ、私が追う。捕まえられたら、おまえは私の言うとおりにするんだ。この際、秘石の話は今日は無しにしてやる。今日の私の望みはそれではないからな」
 マジックの提案を、シンタローは鼻で笑った。
「はん! えらく一方的な提案だな。俺が逃げ切るにしろ何にしろ、結局貴様との鬼ごっこに付き合えってか。ちょっと虫が良すぎるんじゃねぇの? 俺は忙しいんだよ! 遊んでる暇は――」
「……これではどうだ? おまえが勝ったら、一度だけコタローに会わせてやる。約束しよう。それでも嫌か?」
「えっ!?」
 一瞬、シンタローの顔が弛む。コタローに逢える? コタローに?
『お兄ちゃん(ハートマークつき)』……弟の笑顔が脳裏で乱舞した。
 半ば陶酔状態で頷きかけ、シンタローは慌ててぷるぷると頭を振った。
「……てめーの約束なんざ信じられるかよッ!」
 世にも珍しいことが起こっていた。シンタローの理性が弟への一念に勝るなど、明日のパプワ島地方は雪一時あられ、ところにより隕石、血の雨降水確率90パーセントである。
 シンタローは、ぐっと拳を握り締めた。
「断る、と言ったら?」
 パキッとマジックは指を鳴らした。シンタローの周囲を、団員が取り囲む。
「拒否できんよ、おまえは」
 マジックの瞳が妖しげに光る。互いに間を取りながらの牽制。さらに一歩引き、シンタローは大きく息を吐いた。結局マジックには適わないのだ。
「……パプワや島の連中には絶対手を出さないと、誓えるか?」
「勿論。私は平和主義者だからね」
 おお、すごいぞ、シリアスだ。
「その言葉……忘れんなよッッ!!」
 言いざま、自分を包囲している元味方を蹴り飛ばし、シンタローは駆け出した。
「……よかろう。契約成立だ」
 瞬間的な空白。
 ――バゥン!
 マジックの眼魔砲が背後の地面をえぐる。
「でーっ! マジかよッ!!」
 間一髪で避けながら、シンタローの背中を冷たいものが走り抜けた。
 あんなもの、自分が放つ分にはいいが、食らうのはごめんである。
「これじゃ、捕まる前に殺されちまうぜ」
 この一種の『ゲーム』が今日一日限りのものであることを、シンタローは知っていた。何故なら――。
 ……付き合ってやるさ。死にたくねえからな。
 森の方までシンタローは逃げていた。障害物が多い方が有利だ。
「待て、シンタロー!」
 どっかーん!
 三十センチ横の樹の、どてっぱらの風通しがよくなっていた。
「どわっ!」
 しーん…… そんな擬音が降ってくる。
 畜生、マジックの奴、やたら張り切ってやがる。これを否応なしのプレゼントにさせる気かよ! じょおっだんじゃねえ!!
 シンタローは心の中で毒づいた。だが、逃げなくてはあの世行きである。
「誰が待てるかーっっ!!」
 怒鳴り返して、シンタローはジャンプした。



 マジックはぐるりと森を見回した。
「……見失ったか」
 まあいい。息子がのってくれただけでも幸運なのだ。
 単なる『狩り』と『鬼ごっこ』では、気分的に大きな隔たりがある。やっていることは同じなくせに、自分の罪悪感を棚上げできる方を選ぶ、あこぎというか随分なマジックだった。
「絶対におまえを捕らえて、おめでとうと言わせてみせるぞ、シンタロー!」
 握り拳を掲げあげ、マジックは燃えていた。
 何やら、目的と手段がもはやチャンポンになっている感がある。
 父と息子のチキチキマシン猛レース……じゃなかった、チェイスは、まだ始まったばかりであった。



「今日もええ天気どすなぁ、テヅカくん 」
「キィ♪」
 アラシヤマは肩にコウモリを乗せ、散歩していた。彼にとっては幸福そのものの時間だ。それを遮ったのは、割と近くで起こった爆発音だった。
「ん……? 何や?」
 瞬間的に、テヅカくんをかばうように抱え込む。辺りの様子を窺ったアラシヤマの前に、
 ガサ…… ザザザッッ!
 突如落ちてくる人影。
「……ってぇー……目測誤っちまったぜ」
「シンタローはん!?」
 アラシヤマは、しゃがみこんでいる青年の名を呼んだ。はっとして、シンタローが顔を上げる。
「奇遇どすなァ。何をやっとらはるんでっか? こないなところで、散歩にも見えまへ――むぐっ」
 アラシヤマが目を白黒させる。シンタローは同僚の口元を押さえ、自分に引き付けた。
「なッ……何しはるんどす!!」
 シンタローの手を引きはがし、アラシヤマは噛みつくように叫んだ。顔が真っ赤なのは完璧に照れているからである。一歩間違えば山火事寸前だった。
「大声をたてるなっ」
 アラシヤマの耳元で、シンタローはささやいた。
「見つかっちまうじゃねえかよ」
「かくれんぼでもしてはるんどすかいな。よろしおすなぁ、楽しそうで。そや、テヅカくん、わてらも今度二人で遊びまひょな」
「キイキィ!」
 再びテヅカくんを肩に乗せるアラシヤマを、組織の一員時代、唯一実力で凌駕していた青年は睨みつけた。
「ばっきゃろー! 呑気な面しやがって。こちとら命懸けだぜ」
 シンタローは辺りの物音に耳を澄ました。どうやら大丈夫のようだ。大きく息をつき、彼は樹の陰にすとんと腰を下ろした。
 その様子に、アラシヤマの表情が硬くなってゆく。これは、ことによるとヤバい状況かもしれない。
「何やら、えろう……きな臭い話みたいどすな」
 ちらりと、シンタローはアラシヤマを見た。
「マジックが――来てる」
 聞いた途端、アラシヤマは真っ白になっていた。酸素を求めてぱくぱくと口が動く。
 ……マジック総帥が島にいる?
「な……な……な、何どすてぇ〜〜〜っっ!?」
「わっ! バカ! 大声を出すな!!」
 慌てて、もう一度シンタローがアラシヤマの口を塞ぐ。同じようにその指をはがしてから、額とバックに縦線をしょった笑みをアラシヤマは浮かべた。
「……そ……そりゃ、えらい災難どしたなあ。ははは。わ……っ、わては急ぎの用事を思い出しましてん。ほな、さいなら」
「待てぇーいッ」
 アラシヤマのマントの首根っこをひっつかんで、シンタローは引きずり戻した。
「何でわてまで巻き込まれなあかんのどすっ」
「筆者の趣味――もとい、もののついでだ」
 もののついでで、総帥親子のバイオレンスなかくれんぼに付き合わされてはかなわない。……鬼ごっこにかくれんぼ、次は缶蹴りだろうか。何だかノスタルジーの世界である。
「せやかて……。いや、それより、なしてまた総帥がこないな――」
「あ……」
 その問いに、答えづらそうにシンタローは口篭もった。
「? 何どす?」
「だから……」
「だから?」
「今日は――奴の誕生日なんだよっ」
 聞いた瞬間、アラシヤマの顔に理解の色が広がる。この辺り、既に染まっている彼であった。
「あァ……そーゆーことねェ〜……」
 余計に、とばっちりはごめんだとアラシヤマが考えたかどうかは定かではない。
「とにかく今日一日逃げなきゃならねえ……畜生、昼飯の支度も、掃除も洗濯もしなきゃいけないってのに、あんのアーパー親父が!」
 それでも家事一般を忘れないところが、パプワ島の住人としてのシンタローの彼たる所以だった。
「何とかして食事だけでも…… ―――ッッ!!!」
 ……閃光に近いエネルギーの塊。
 ちゅどーんッツッ!!
「どしぇーっっ!」
「うぎゃあァァ〜!」
 なぎ倒された木々と一緒に、二人は爆風で吹き飛ばされた。
 ズサッ!
 彼らは残った樹に打ちつけられた。瞬間、息が止まりそうになる。
「〜〜ッ!!」
 歩み寄る人物。その威圧感。
「こーんなところに隠れてたのかい、坊や! 随分と捜したよ……?」
 悪魔の微笑みを湛えて、マジックはゆっくりと近付いてきた。
 ごくり、とシンタローは唾を飲み込んだ。アラシヤマに到っては、しきりに後ろに下がろうとしながら、腰が抜けて動けない。
 危うし、シンタロー!(とアラシヤマ) このまま彼はマジックに捕らえられてしまうのか!? 以下次号!!
 ――というわけにはいかないので、話を続ける。
「さあ、意地を張らないであきらめなさい」
 マジックはなおも息子の傍へ近寄る。
 あと数歩で触れようとする時、シンタローは爆発の名残で散乱している瓦礫を掴み、マジックに投げつけた。
 ピシッ!
 マジックが、手をあげて顔をかばい、目を細める。
「何を今更悪あがきを――」
「逃げるぞ、アラシヤマ!!」
「あ……あわわ……」
 腰を抜かしたままのアラシヤマの腕を取り、引っぱるようにしてシンタローは走りだした。
「あっ、こら、シンタロー!」
 マジックは追った。
 森の中の、全力疾走障害物競争。
 もはや体力勝負に近いものがあった。齢の差は歴然としている。あとはテクニックと邪道だ。
「待ちなさい! 紳士的に話し合おう!」
 眼魔砲の構えをしながらそう言っても、説得力はまるでない。トーゼンである。
 ……ドガッ!
 前方の地面に大穴が開く。シンタローと、どうやら自力で走れるようになったアラシヤマは、それをぎりぎりで跳び越えた。
「待てといわれて待つバカはいねーよ!」
「わーっ! 何でわてまでーっっ!!」
「うるせー、ゴチャゴチャ言わずに走れッ!」
「そないなこと言うたかて、元はといえばシンタローはんのせいやおまへんかーっ!」
「じゃあ、あのまま木の根元んとこに置いてきてほしかったのかよ!? 何なら今から戻るか? えぇ!?」
「嫌どすッッ! マジック総帥に即死させられてしまいますがな!! わてはまだ死にとうあらしまへん!」
「だったら黙って走れっ!」
「ひぇーん!」
 ほとんど掛け合い漫才のノリで、シンタローとアラシヤマは叫び合いながら獣道を駆け抜けてゆく。
 それを追跡するマジックは、
「を!?」
 ……自分のえぐった大穴で足を踏み外していた……。



「あー、スイカがうめェべー! ほれ、トットリももっと食うだよ」
「もっと、って、僕達これしか食べるものはないんだっちゃが!」
「いちいち言わんでも判っとるべ! ……いつか花咲くときもくるべさ。オラ達、貧しくてもたくましく生きるべ、トットリ」
「ミヤギくーんっ」
 スイカ畑で、トットリとミヤギは、涙ぐみながら互いの手を取り合った。
 そこに、すさまじい勢いで転がってくる二つの物体。その上をコウモリがぱたぱたとついてきていた。
「何だべ!?」
「誰だわいや!」
 誰何の声を飛ばす。土埃の中に影が映った。
「何しやがんだよ、アラシヤマ! 走ってる最中に、いきなり他人の腰紐を引っぱんじゃねぇ!! バランス崩しちまったじゃねーかよッ!」
「不可抗力どすがな! ちょっと足がもつれて、転びそうやったんや! それで、とっさに前におったシンタローはんの紐を掴んでしもうただけどす!!」
「足がもつれた、って、てめー、足腰弱ってんじゃねーのか!? 俺より年下だろーがッッ!!」
「あーっ、シンタローはん、あんさんには関係あらへんことどっしゃろっ!」
 やたら元気に人影は怒鳴り合っている。この、嫌になるほど聞き覚えのある、嫌になるほど聞き慣れた声。その名前……。
 土埃の霧が薄くなり、いつしか晴れていた。その中にいたのは、無論――
「……シンタロー!」
「それにアラシヤマっ!」
 ミヤギとトットリは、以前の同僚の名前を呼んだ。
 呼ばれた方は、そこで初めて二人に気付いたという風に、目をしばたたかせた。本当は転げる前に一応視界に入っていたはずなのだが、ずっと喚き合い続けていて、スイカ畑の中の人の姿など、その意識の隅にすら残っていなかったのだ。
「あれ? ミヤギにトットリじゃねぇか」
「あんさんら、こないな場所で何しとらはるんどす?」
 シンタローとアラシヤマはあっけらかんと問う。
「それはこっちの台詞だべ!」
「そげだわやっ」
 むくれたように、ローカルコンビは突然の闖入者をねめつけた。
「なーんでおめ達が一緒に走っとったんだべ」
「運動会はとうに済んどるし……んー……マラソン大会の練習か何かだらあか?」
「何マヌケなこと言うとるだよ、トットリ!」
「ミヤギくんがいぢめる……」
 じとーっとした目で、トットリは親友を見た。シンタローは痴話喧嘩には構わず、ほぅっと呼気を漏らした。
「……取り敢えずは撒けたか」
「そのようどすな。でもすぐに来まっせ」
 アラシヤマは、姿勢を変えて座り込むシンタローに恨みがましい視線を投げた。
「まったく、あんさんのせいでわてまで逃亡者や。せっかく巻けたことどすし、わてはうまいこと戻らせてもらいますよってな」
「できると思ってんのか? あいつ相手に、本気で。剛毅なことだな」
 たとえ騒ぎに巻き込まれただけだとしても、マジックはアラシヤマをも追い詰めるだろう。ただでさえ、刺客としての任務に失敗した脱落者なのだから。
 アラシヤマはあっさり返答した。
「……言ってみただけどす」
「変わり身の早ぇ奴……」
「こら、シンタロー! オラの質問に答えるべっ!」
 ミヤギは詰め寄った。シンタローは口元を歪め、ぐしゃりと前髪をかきあげた。
「楽しいたのしい、鬼ごっことかくれんぼだよ。おめーらも混ぜてやろうか?」
 話が見えない。ミヤギは首をひねった。
 島の連中相手にそれをしている、というなら、まだ判らないでもない。だが、よりにもよってコウモリだけが友達のアラシヤマと一緒に?
「ところでシンタローはん……」
 アラシヤマはこそりと耳打ちした。
「これも巻き込む気どすか……?」
「ものにはついで、って言葉が日本語にゃあるんだよ。この際だ、居合わせた不幸を呪ってもらう」
 ……悪魔であった。この親にしてこの子あり、やはり血は争えない。
 もっとも、それを聞いて、たしかにどうせ不幸になるのなら、自分だけでなく他人の足元もすくってやった方がいい、と同意思考をかました京都出身の青年がいたところからすると、これはガンマ団構成員全てに共通することなのかもしれない。さすがは悪の組織、マインド・コントロールは徹底していた。
「ミヤギ、トットリ! おまえらに手伝ってほしいことがある」
「手伝い……?」
 話をもちかけられた方は顔を見合わせた。
「一体、僕達に何をしろって言うんだっちゃ」
「時間がねえ。……急いで、罠をつくるんだ」



「迂闊だったな……」
 マジックは着衣に付いた土をはたいた。
「この私が、こんな目に遭わされるとは」
 キッと、マジックは何もない空間を睨みつけた。
 ……こんな目もそんな目も、自分のせいである。どんなに渋く決めようと、所詮、自分で掘った穴に自分で転がった事実がある以上、恰好付けが完璧にすべっていることに、当人は気付いていない。
「だが、今度こそ逃がさんぞ、シンタロー!」
「総帥! あちらの方に、シンタロー様らしい人影が」
 分散させた部下の報告に、マジックは首肯した。
 お日さまはとっくに高くのぼっていた。



「……にしても、誰が追っ手か知らねえだども、落とし穴なんか作っとらんと、何処かに早く逃げた方がええんでねえだか?」
 ミヤギの言葉に、シンタローは土をならしながら、あさはかなと言いたげな顔をした。
「何処に逃げても隠れても同じなんだよ! 一日中ずっと走りづめるわけにもいかねえ以上、休息のついでに敵を足止めする手をとった方が得策だろうが」
 その通りだった。体力の温存が優先事項だ。決して筆者が手を抜いたわけではない、念の為。
「シンタローはん、こんなもんでっか?」
 アラシヤマは網を差し出した。
「即興にしちゃ、上出来上出来! マジックだったら引っかかるぜ」
 落とし穴にスイカの蔦を編むようにかぶせながら、シンタローは頷いた。
 看過しえぬ、一つの名前に、ミヤギとトットリがかちんと固まりかける。
「……え……? マジック……??」
「マジックって……総帥……?」
 硬直を解こうとする二人の全身から、音を立てて血の気が引いていた。
「来とりんさるのは総帥なんだっちゃか!?」
「シンタロー! おめ、嘘こいたべなッ!」
「……嘘なんかついてねえよ。黙ってただけだぜ」
 ビビる気持ちはよく判る。黙っておいて正解だった、と、シンタローは心の中で呟いた。
「冗談でねえだ! オラ達は抜けるべ!」
 ミヤギは叫んだ。悲鳴寸前である。そのままダッシュして去ろうとするのを、
「――アラシヤマ!」
 シンタローの声に、アラシヤマが行手に立ちはだかる。
「ここまで加担しといて、あきまへんえ、お二人はん。地獄に堕ちる時は一緒どすわ!」
 前門のアラシヤマ、後門のシンタロー……。ミヤギとトットリは、ネコに狙いを定められたネズミと化していた。窮鼠猫を噛む、という格言は、彼らの場合、地球の反対側であった。
 がっくりと、二人は膝をついた。その瞬間、
「……っっ!?」
 ―どっげーん!!
 四人めがけて、景気よく無形爆弾が飛ばされた。マジックの撃った眼魔砲だ。
「うわぁーっ!」
「ぎゃ〜〜〜ッッ!!」
 まともに受けて、トットリとミヤギはふっとんだ。毛布と布団がもうふっとんだ――懐かしい駄洒落である。
 アラシヤマとシンタローはすんでのところで直撃を避け、身をかばった。
「……っ!」
「来やがった、か」
 仁王立ちしているマジックの姿が、土煙の向こうに見える。
「また仲間を増やしてるのかい? 懲りない子だな。この際だ、全員まとめてお仕置きしなきゃいかんな……」
「懲りねえのはてめえの方だぜ、マジック!」
 ちら、と、地面と親交を深めているトットリたちを、シンタローは一瞥した。
「何をぼさっと寝てやがる! 死にてえのか!」
 その一喝に、身を起こし、ミヤギとトットリが泡を食って逃げ出す。それに合わせてシンタローも身をひるがえした。
 アラシヤマは行きかけて、後方を振り返った。
「テヅカくん!」
「キィーッ!」
 爆風に飛ばされたテヅカくんが、その場には残されていた。置いてゆくことなどできない。アラシヤマは方向を変え、駆け戻った。
「……アラシヤマ!?」
 シンタローは叫んだ。
「アラシヤマ、よせ! 戻るんだ!!」
 現場に屈み込んで、コウモリを抱き上げるアラシヤマ。マジックが、ついと腕を伸ばす。
 完全な射程距離。――絶好の、標的……。
「――危ねえ! アラシヤマッッ!!」
 テヅカくんをぎゅっと抱き締め、アラシヤマが目をつぶる。絶体絶命の、一瞬。
 ……その時初めて、シンタローは自ら眼魔砲を放っていた。
 ドウッ!
 頭髪一筋分を外してかすめる技。マジックはわずらわしげに手をかざして余波を蔽う。
 おや、おかしいぞ、なぜ緊迫するんだ。
「……今だ!! こっちに来い!」
 はっとして顔を上げ、アラシヤマは走りだした。すぐに救済者に追いつく。
「おおきに、シンタローはん!」
「別にてめぇの為じゃねえっ! あいつがテヅカを巻き込もうとしたからだっ。……貴様が生きようが死のうが俺の知ったことじゃねえが、一人だけ見殺しにしたら後味悪いだろーがよ!!」
 不本意そうにシンタローは答えた。その間も、無論疾駆は止まることはない。
 彼とアラシヤマは、たちまち先をゆく二人と並んだ。
「……テヅカくーんっ、こないな思いをさせてもうて堪忍なぁーっ!」
「キイィー!」
 アラシヤマは今度はしっかりテヅカくんを抱え、すったかすったか走っている。
「シンタロー! まだ逃げる気か!」
 態勢を立てなおしたマジックが、スイカ畑に踏み入ってきた。
「……ったりめーだッッ!」
 父親に叫び返して、シンタローは疾走した。
 ドーンッッ!
 畑で次々と爆発が起こる。当然、なっていた実はぐちゃぐちゃである。
「わ〜〜! 僕達のスイカ〜っ!!」
「どうしてくれるべ、シンタロー!」
 トットリとミヤギの食糧事情が切迫していた。
 ……さようなら、日々の糧。明日から自分たちは飢えて路頭に迷うのだろうか。マジックに殺されるのも嫌だが、栄養失調で昇天するのも嫌だ。ああ、生きているうちにもう一度、故郷の二十世紀梨を、ササニシキを腹一杯食べたかった。父ちゃん母ちゃん、先立つ不幸を許してくれ、涅槃で待つ……。
 もはや思考が訳が判らない。
「我慢しろ! 今度夕飯に呼んでやる!」
「……ほんとだべなァ!?」
「シ、シンタローはん、総帥があぁ〜ッ!!」
 ――どげんっ!!
 十センチの差で頬をすり抜ける眼魔砲。マジックが追いすがる。
「うわーん! 僕達無関係だっちゃがないやーっ!!」
「今更遅うおますがな! どわーっ!」
「そうだ、一蓮托生って四字熟語を知らんのかッ! ぎゃあァッッ」
「知っとるのと判るのは別物だべーっ!!」
「うわーっははは、後の祭りだ、後の祭り!」
 半分以上ぶち切れた精神状態でにぎやかに喚きつつ、四人は逃げ回った。
 やはり若さがものをいう。追撃するマジックは息切れを起こしかけていた。齢は取りたくないものである。
「無駄な抵抗はよしなさい、シンタロー!」
「貴様は警察かよ!」
 シンタローは落とし穴の上を飛び越えた。
「ここまで来てみろ、クソ親父!!」
 そのまま、一目散に猛ダッシュする。まっすぐそれを追おうとして、
「をおっ」
 ……ものの見事に、マジックは落とし穴にはまっていた。はっきり言って大たわけである。
「シンタロー! よくもッ!」
 穴の中からマジックが吠える。
「バ〜カ! そこで当分寝てやがれっ!」
 その頃には遥か彼方まで離れていたシンタローは、手をメガホン代わりにして言い捨て、他の三人と共に逃げ去った。
「……やるな、シンタロー!」
 こうでなくては面白くない。マジックは拳をつくった。部下が駆けつけてくる。
「ごっ……ご無事ですか、総帥ッ!」
「今お救け申し上げます! ……総帥?」
 覗き込んだ穴の中で、彼らを統べる存在は、ひたすら自分の世界を形成していた。


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