LITTLE WIZARD〜SOLE DESIRE
「くしゅっ……」
小さなくしゃみをして、ウィローは目を覚ました。
時間はちょうど深夜だ。手違いでコウモリとなってしまってから、夜中の空中散歩は彼の日課に組み入れられつつある。
ウィローは半身を起こし、目を擦った。
そこで彼は違和感に気づいた。
「あ……れ?」
思わずしげしげと自分の身体を眺め回す。……魔法使いの服装をした、人間の、体?
ワ……ワシ、人間に戻っとるぎゃあっ!
叫びかけて、ウィローは慌てて口元を押さえた。傍らの寝床のアラシヤマをはばかったのだ。起こしてはいささかまずい。
けど、何故でゃあ? 薬の効力が切れるわけねゃあがや。一体……。
「キピ?」
やはり起きだしていたテヅカくんが、考え込むウィローの傍にやってきて、不思議そうに彼を見やる。テヅカくんにしてみれば、突然見知らぬ『ヒト』が友達のいた場所に現れたように思えるに違いない。
「キィキュピ?」
「しっ!」
ウィローは指を唇の前にもってきた。可聴域ぎりぎりの囁き声で制止する。
「喋ってかんて! アラシヤマさんが起きてまうがやっ。黙っとりゃあせ!」
基本的にアラシヤマは気配には鋭い。テヅカくんとウィローの夜中の散歩の際の出入りに関しては、いつものことだから「ああ、行ったな」程度の感覚しか持っていないが、もしこのまま留まっていれば普段と違う空気をすぐに感づかれてしまうに相違なかった。
元に戻った理由も、それが本当に戻ったのかもはっきりとしないのに「戻れたみてゃあだがね、世話になったなも」などと言えるはずもない。まずは現状を確定させなければならない。
ここでは不都合が多い。とりあえず、外に出てしまうべきだろう。
ウィローは極力物音を立てないように、そーっと寝床を抜け出した。アラシヤマの様子を窺いながら、場を離れる。
勿論、御注進されないよう、テヅカくんをかっさらってゆくのを、ウィローは忘れなかった。
月の光が、ウィローに降り注ぐ。彼がパプワ島にやってきてから正確に一巡りめの満月だった。
自然には元に戻るはずのない魔法薬の効力が失われたのは、このせいかもしれない。
コウモリになったことで魔力が完全に消えたわけではなかったのだ。それと判らないほど微妙に反発していた魔力が、魔法使いのエナジーである月の助けを借りて、薬の効果を打ち破ったのだろう。
ウィローはそう結論づけた。傍では、怪しい者ではないと判断したのだろう、逃げるでもなくテヅカくんが羽ばたいている。
ウィローは右手を月光にかざした。
「人間に戻ったんだで、……とほうするとさいが、魔力も甦っとるはずだぎゃあ……」
呼吸を整え、くいっと手首を返す。その途端、手の中には魔法使いの杖が出現していた。
「できたがや!」
初めて新しい魔法を覚えた幼い日のように、ウィローは嬉しそうに笑った。
こんな他愛もない術の成功に感動できる日が来るとは、彼は思いもしていなかった。魔法技術に関しては比肩する者のない天才である彼にとって、それは不可思議ともいえる発見であったのだ。
「これで……作れるなも」
小さく彼は呟いた。
魔法薬の材料となる植物が自生している草地で、ウィローは、つい、とひざまずいた。
力は取り戻せた。折しも、今日はあの日と同じ満月……。
ウィローの中で、心の隅に追いやられていた決意が浮上していた。
自分がこの島に来てから、既に一ヶ月。ガンマ団では、とうに自分も脱落者の判を捺されているだろう。初めからそのつもりで来たのだから、それは別に構わない。だが、今頃本部では、度重なる失踪者に業を煮やし、新たな追っ手が立てられているはずだ。手を打てるなら、急がなければならない。
そう、今度こそ、みんなに薬を飲ませるのだ……。
しかしそこに、ほんの少しだけ迷いが含まれはじめていることに、ウィロー自身、気づかざるを得ない。それは決して、彼の想いの根幹を覆す思考によるものではなく、同じものに根ざしていたのだけれど。
煎じるのに使う薬草を摘みながら、ウィローは自らに言い聞かせるように、己の決心を繰り返していた。
薄明直前の頃、ウィローはテヅカくんと一緒にアラシヤマの隠れ家に帰ってきていた。
マントの下に密かに隠し持った薬壺は二つ。一つは先だって彼自ら飲んでしまったものと同じ、人間をコウモリに変化させる魔法薬、もう一つは、もしもの事態を想定して念のために試作した中和薬だ。
ウィローは深呼吸して、気配を押し殺した。専門分化した立場であったとはいえ、だてに幾年も世界最強の暗殺者集団の中にいたわけではない。それなりの、殺し及びそれに付随するテクニックは心得ている。意識すれば、ほぼ完全に気配を消すことが可能だった。
足音を立てずに、寝んでいるアラシヤマの元へ一歩ずつ歩み寄る。
アラシヤマの枕元にウィローは佇んだ。
「んー……お帰……り、テヅカくん……」
むにゃむにゃとアラシヤマは呟いた。びくりとして、ウィローは息を詰めた。――気づかれた?
だが、それ以上のことは起こらなかった。いつもの、半ば寝言の挨拶らしい。ウィローは、ほぅっと安堵の息を吐いた。
ごそりと魔法薬の壺を取り出し、蓋を取って彼は握り締めた。そろそろと片膝をつく。
ウィローはアラシヤマの顔を覗き込んだ。規則正しい寝息が聞こえる。
アラシヤマさん……。
ウィローは薬壺に目をやった。
アラシヤマが起きてから、改めて事情を話せば、彼は自ら飲んでくれるかもしれない。こんなだまし討ちのような真似は、今まで世話になってきた恩を仇で返す、その際たるものだ。だが、今更余計な時間を費やすつもりはウィローにはなかった。もしかすると、何故一言先に話してくれなかったと後で恨み言の一つも聞かされる方が、双方にとってより優しい結末であるからかもしれなかった。
今なら薬を飲ませることはたやすい。けれどここまできて、彼の中に戸惑いが生じていた。本当に、これで良いのだろうか。
ウィロー! おみゃあ、何ためらっとるの、ちゃっと飲ませてまやあ!
自分に対して、ウィローは叱咤の声を投げた。何故悩むことがあるのか。みんなをコウモリに変えて、他の誰も手出しできなくする、それが自分の望みのはずだ。
アラシヤマの寝顔に視線を戻す。どちらかといえば、美人に近い造作。
ウィローはアラシヤマの口の上に薬壺を持ってきた。
――許いてちょ……。
あとは傾けるだけだ。それで終わる。なのに。
「……っ」
その姿勢のまま、ウィローは動けなかった。こわばった手が微かに震える。眠っている――ひょっとしたら既にそのふりかもしれない――アラシヤマを、彼はじっと見つめていた。
『……今日からわてが世話してあげますよってな』
――よみがえる言葉。
『何だべ、名古屋の外郎売りに似たコウモリだべな』
『それでそげな名前付けとりんさるんだぁか?』
『そうどす。せやけどあんさんらには関係あらしまへんどっしゃろ! ああ、ウィローちゃんに手ぇ出さんでおくれやす!』
『おい、おめーら、人の話聞けよ! 豆まきやるんだからな! けど確かにあいつに似てんな。テヅカの友達か?』
二週間前の、節分の時の会話と光景が心をよぎった。
『ウィローちゃんはほんまええ子どすなぁ……』
優しく頭を撫でてくれる、アラシヤマの、笑顔――。
「……できーせんぎゃあ……」
ウィローはきゅっと唇を噛んで手を戻した。
わずかに瞳を伏せ、楽しげに笑む。そうだ、自分は――。
魔法薬を見やる。ウィローは泣き笑いのような表情でそれに口をつけた。
こくんっ
生まれて初めて、己の意志で飲む変化薬。
みんなで楽しく仲良く過ごす日々――ただ一つの、望み。夢みた刻はここにあったから。それは、少しだけ違う形でだったけれど……。
急激に意識が遠のく。ことん、と薬壺が地面に落ちた。
自分は幸福を見つけてしまったのだ……。
微かな心の痛みとともに、ウィローは本当に嬉しそうに幸せそうに微笑み、闇黒の領域に身を委ねた。
……もう一度、みんなで最初からやり直す為に。光あふれる、聖なる楽園で――。
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